2024年03月29日( 金 )

二審も死刑判決の福岡県警元巡査部長 妻子を殺めるまでの家庭の内実とは?(前)

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 2017年に福岡県警の巡査部長が妻子3人を殺害したとされる事件で、福岡高裁は9月15日、無罪を求める被告の控訴を棄却し、一審の死刑判決を支持した。現職の警察官がなぜ、妻子を殺めたのか。裁判で明らかになった事実に基づき、「福岡県警史上最大の不祥事」といわれる事件が起きるまでの経緯を紐解いた。

犯行動機などは解明されなかったが…

中田被告の裁判が行なわれた福岡高裁・地裁の庁舎
中田被告の裁判が行なわれた
福岡高裁・地裁の庁舎

 元警官に二審も死刑判決――。9月15日、福岡高裁で福岡県警の元巡査部長・中田充被告(43)に対する控訴審判決が宣告されると、ネット上ではメディアの速報が飛び交った。

 事件発生当時、現職の警察官だった中田被告は妻子3人を殺害した罪に問われ、裁判員裁判だった福岡地裁の一審で無罪を主張しながら死刑判決を受けていた。事件発生から4年が過ぎたが、依然として注目度が高いことがうかがえる。まずは事件の経緯を簡単に振り返っておく。

 事件が発覚したのは2017年6月6日。現場は、福岡県小郡市の中心部にある2階建ての民家だった。中田被告が妻の由紀子さん(当時38)、長男の涼介君(同9)、長女の実優さん(同6)と暮らしていた家である。

 「子どもが登校してこないと学校から電話があった」。

 由紀子さんの姉が中田被告から連絡を受け、中田被告宅に赴くと、1階の台所で由紀子さんが、2階に敷かれた布団の上で涼介君と実優さんが死んでいた。台所には練炭が置かれており、県警は当初、由紀子さんが子ども2人を殺害後に自殺した無理心中の可能性があると説明していたという。

 ところが、司法解剖で由紀子さんの首に内出血が確認されたうえ、中田被告宅に第三者が侵入した形跡がないことが判明。そのため県警は中田被告に疑いの目を向け、由紀子さん殺害の容疑で逮捕した。さらに翌2月、涼介君と実優さんを殺害したのも中田被告だと断定し、再逮捕した。

 そして19年11、12月、福岡地裁で行われた一審の裁判員裁判。中田被告は「間違いなく冤罪です」と無罪判決を求めたが、死刑を宣告された。私はこの裁判を傍聴し、判決文に目を通したが、妥当な結果だと思えた。新聞では「直接証拠が乏しい」などと書かれていたが、実際は有罪証拠がそろっていたからだ。

 たとえば、中田被告は事件当日、防犯カメラの映像などから朝6時53分に家を出たことが判明していたが、事件直後に現場に臨場した消防士や法医学者らの証言から被害者3人が死亡したのは「遅くとも同日の午前6時30分ごろまでの時間帯」と特定された。つまり、妻子3人が殺害された時間帯に、中田被告はまだ自宅内にいたということだ。

 また、由紀子さんの右手薬指の爪から採取された付着物からは、中田被告のDNA型が検出されていた。由紀子さんの遺体の周囲にはジッポーライターのオイルがかけられていたが、中田被告の職場のロッカーから同じジッポーライターのオイルの缶も見つかっていた。さらに中田被告のスマホには、出勤前に自宅内で1階と2階を行き来した記録も残されていた。

 このように有罪証拠がそろっていたため、中田被告自身も被告人質問の際、「証拠はほとんど私を犯人と認める方向に出ているのは理解しています」と認めるくらいだったのだ。

 中田被告は、報道の写真や映像ではがっしりとした体つきのスポーツマンタイプに見えるが、一審の法廷で見た実物は華奢(きゃしゃ)で弱々しい感じだった。被告人質問では、検察官、弁護人、裁判官、裁判員のいずれからの質問に対しても、端的に答えを言わず、回りくどい話し方で声も小さかった。いかにもやましい思いを抱えている印象で、そのことからも有罪は当然と思われた。

 ただ、中田被告が否認したこともあり、一、二審判決ともに中田被告が犯行に至った動機や詳しい犯行態様は認定できていない。中田被告は最高裁に上告したが、上告審では基本的に法律関係の審理しか行われないため、事実関係は解明されずに裁判が終結する公算が大きい。被害者遺族は控訴審判決を受け、このことに納得がいかないという趣旨のコメントを発表したが、遺族としては当然の心情だろう。

 もっとも裁判では、中田被告が犯行に至るまでの過程もかなりわかっている。それを以下に見ていこう。

(つづく)

【片岡 健】

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