【唐津街道中膝栗毛/後編】景観保存と開発の狭間で揺れ動く箱崎~小倉の旧宿場町(中)
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【番外】木屋瀬(北九州市八幡西区)
往時の雰囲気を色濃く残す 遠賀川沿いの宿場町
木屋瀬宿は、長崎街道における「筑前六宿」の1つとして栄えた宿場町であり、唐津街道の宿場町ではない。しかし、この木屋瀬宿で長崎街道が分岐し、「中筋往還」を通じて赤間宿につながっていたとされており、とくに江戸中期以降の唐津街道は長崎街道から木屋瀬宿を経由して赤間宿に至るルートが主に利用されていたとされている。そのため、本稿でも木屋瀬宿に少し触れておきたい。
木屋瀬宿は、遠賀川と筑豊電気鉄道・木屋瀬駅に挟まれた一帯に形成されていたとされる宿場町である。江戸期以降に長崎街道の整備が急速に進むのにともなって、宿場施設も充実。遠賀川と並行して南北に延びる約1,100mの街道筋は裏通りのない一本道となっており、本陣付近で「く」の字に曲がるほか、道沿いの家々はノコギリ歯状に建てられていた。これは「矢止め」と呼ばれ、敵の侵攻を警戒したもの。宿場には代官所や本陣、脇本陣、郡屋、人馬継所、問屋場、船庄屋などの施設とともに、14~15軒の旅籠があったとされており、長崎街道と唐津街道の分岐点としてのほか、遠賀川の水運も合わさって、相応の賑わいを見せていたようだ。また、かなりの人の往来があったようで、木屋瀬宿にはオランダ商館員でドイツ人医師のシーボルトや測量学者の伊能忠敬、さらには白象が泊まったという記録も残されている。
現在の木屋瀬宿一帯は、古い街並みが街道筋に沿って多く残されていることで、江戸の風情が色濃く感じられる観光地といった様相だ。かつての御茶屋および町茶屋の跡地には現在、当時の歴史や史料を紹介する施設である「北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館」があり、まち歩き観光などの拠点となっている。
(つづく)
【坂田 憲治】
法人名
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