【唐津街道中膝栗毛/後編】景観保存と開発の狭間で揺れ動く箱崎~小倉の旧宿場町(後)
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若松(北九州市若松区)
石炭積出港として発展した、レトロな雰囲気漂う港町
若松宿は、現在の若戸大橋のたもと、洞海湾に面した場所に形成されていた宿場町だ。城下町・小倉からは戸畑を経由し、当時は川に見立てて「大渡川」とも呼ばれていた洞海湾を船でわたって若松宿に行き着いたとされる。
若松宿は、黒田長政が筑前に入国した際に築いた「六端城」と呼ばれる6つの城の1つで、洞海湾に浮かぶ小島「中ノ島」に築かれた「若松城」の城主や家臣たちが住んでいた一帯が、江戸期に宿場として整備されたのが原形とされている。江戸初期には、福岡藩主が参勤交代の際に利用していたほか、諸国巡検使なども若松から入国していたとされ、福岡藩が人や品物の出入を監視・管理するために設けた洲口番所のほか、御茶屋などがあったという。だが、江戸中期に起こった大火によって御茶屋や代官所もなくなり、長崎街道・黒崎宿の代官が兼任するようになったほか、前述のように唐津街道の主要ルートが木屋瀬宿経由へと変わっていったことで、宿場町としての役割は縮小していったようだ。
しかし一方で、明治期に入ると若松~直方の鉄道路線が開業し、筑豊炭田で産出された石炭の積出港として多くの船舶や港湾労働者が集まり、港湾都市として発展を遂げていった。とくに大正期以降には、赤レンガ造のルネサンス様式の建物などが建てられたほか、たくさんの映画館や芝居小屋などもつくられ、石炭景気で若松のまちはかなり賑わっていたようだ。
現在の若松宿一帯は、若戸大橋のたもと近くに若松区役所が置かれ、本町2・3丁目にはアーケード商店街が形成されているほか、商業施設「サンリブ 若松」などもあり、北九州市若松区の中心地となっている。しかし、残念ながら宿場町としての面影はほとんど残っていない。その一方で、「旧古河鉱業若松ビル」や「石炭会館」などの大正レトロの建物は海岸通りに多く残っており、同じ北九州市内の門司港レトロ地区ほどではないが、港湾都市としてのかつての繁栄ぶりを感じることができる。
なお、12年9月に若戸トンネルが開通したことで、若戸大橋と合わせて洞海湾を挟んだ戸畑・小倉方面への交通利便性が向上。港町のロケーションを生かして、東宝住宅(株)による「グランドキャッスル久岐の浜 南海岸通り」(46戸、25年2月竣工予定)などのマンション開発も進んでいる。
【坂田 憲治】
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