2024年04月20日( 土 )

百田氏発言問題、本質は議員の資質にある

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若手議員らの懇話会での発言

 自民党若手議員らの勉強会「文化芸術懇話会」が25日、党本部で開かれた。マスコミが退席した後になされた、作家の百田尚樹氏らによる「言論の自由を」発言が大いに問題視されている。問題とされている発言は以下のとおり(新聞各紙を参照させていただきました)。

・百田尚樹氏
 1:沖縄の新聞社2社はつぶさないといけない。
 2:あってはならないことだが、沖縄のどこかの島が中国にとられれば目を覚ますはず。
 3:普天間基地は田んぼの真ん中だった。基地のまわりが商売になるということで人が住み始めた。選んで住んだのは誰だと言いたくなる。

・大西英男衆議院議員
 マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。日本をあやまつ企業に広告量を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい。

・井上貴博議員
 福岡の青年会議所理事長のとき、マスコミを叩いた。スポンサーにならないことが一番こたえることが分かった。

・長尾敬衆議院議員
 沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落。左翼勢力に完全に乗っ取られている。

 百田氏はほかにも在日米軍と沖縄県民に関する強姦事件の件数について触れた部分があったが、その根拠がはっきりしないので、ここでは触れないでおく。

問題点は百田氏の認識違い

sinbun01 百田氏が自身のツイッターで明らかにしたところによると、百田氏は「同じ懇談会で、『マスコミに圧力をかけるのはダメ』と発言した」としている。加えて沖縄の新聞社をつぶさなくてはならないという発言は冗談だったとも発表した。百田氏自身が言論人、メディア関係者である以上、言論に対して圧力をかけるつもりで言ったのではないだろう。冗談で済まされることか否かは社会が判断することで、結果すまされないとされて今に至っているわけだが、その発言をしてしまうのは百田氏が自分自身の発言力の強さの認識を見誤っていることに過ぎない。

 何より、場が問題である。芸術懇話会なる会合は自民党若手有志による勉強会で、会の目的は「心を打つ政策芸術を立案し実行する知恵と力を習得する」こととしている。招かれた百田氏は、いわばアドバイザーの立場で『自分はこう思う』ということを述べたのである。百田氏は誇張して(あるいは皮肉的に)芸術的に表現したのではなかろうか。直接的な影響力を持つ議員の会合で発言したことは批判されるかもしれないが、百田氏は芸術家として意見を求められ、自分の考えを述べたに過ぎない。新聞2社がつぶさないといけない旨は「社会が判断し、自分が嫌いな新聞社2社が見はなされ、結果、つぶれることになるといい」といった考えによるものだと言う。百田氏を擁護するわけではないが、1の発言に関しては、一個人の意見として「自由に言論」したものだと思える。もちろん、自由には責任がつきものではあるが。
 同様に、2に関しても、あってはならないことだが、と言っていることから、真にそれを望んでいるという意味ではない、ということは分かる。それくらい危機感をもってほしい、という意味合いなのだろう。

 つまり、問題視されている3点のうち2つはただの個人の意見と考えられるのである。百田氏の発言における真の問題は、3だろう。辺野古基地ができたあとに、下心をもって人が集まり、基地は危険だと声高に言っている、という内容。これは明らかに事実と異なっている。沖縄タイムズが検証したところ、宜野湾市史によると1925年には、現在の飛行場の場所には10の字(あざ)があり、9,077人が住んでいたとしている。第二次世界大戦の敗戦で追い出され、そこに米軍の飛行場ができた。その後に住人がふるさとで暮らすことを望み、戻ってきたとしている。これは歴史の認識の問題で、根拠を見る限り百田氏のなかの史実は、一般的な史実とは異なっているように思われる。この点については批判をされても仕方がない。繰り返すが自由には責任を伴うからである。

是非なく迎合する議員が問題の本質

 百田氏の発言のうちで問題があるのは歴史の誤認にある。政治家にマスコミをつぶすように要請しているわけでもないし、マスコミをつぶす力もコントロールする力も百田氏にはない。

 では、問題はどこにあるのか。本質は議員にあると考える。芸術家の意見を聞く会合なのだから、芸術家が持論を述べるのは目的に合致する。ただ、その論の正当性、妥当性を、政策にいかせる立場にある政治家は判断しなくてはいけない。百田氏の発言に問題があるならば、あるいは受け入れがたいものならば、論を戦わせなくてはいけない。言論の自由が守られている日本である。言論の自由を制限するべきととらえられかねないような発言に対して政治家はもっと敏感であるべきだろう。ところが、大西議員、井上議員、長尾議員は、百田氏の発言を曲解し、さらに強力にした発言をしているのである。井上議員にいたっては、自身の武勇伝まで披露して、メディアはコントロールできるとの認識を示している。これは政治家としての資質を大いに問われてしかるべきである。

 百田氏を招いたこと、その論を聞いたこと、それ自体はなんらの問題もない。ただ、政治家がそれを是とし、コントロールすべしという発言をするのは愚かしいことだし、危険なことである。なぜなら、憲法を守らなくてよい、ということと同義だからだ。憲法はすべての国法の根拠である。それを自由に解釈するようなことは、これまでもこれからもあってはならない。言論の自由は憲法で守られた国民の権利。憲法が守られる国であり続けてほしい、と切に願う。
 この懇話会での最大の成果は、情報の発信の仕方を間違えると大きな火事が起こる、ということを学べたことだろう。芸術は爆発と言うが、こういった爆発のし方を歓迎しないのならば、本件をしっかりと受け止めて、政治家は軽軽な発言はすべきではないと肝に銘じていただきたい。

【柳 茂嘉】

 

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