2024年04月19日( 金 )

長浜再開発で注目、海辺空間「ベイサイド北天神」(1)

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JR貨物所有地で相次ぐ閉店 再開発に向けた布石か

(左)8月末閉店の「釣舟茶屋-ざうお-天神店」、(右)9月末閉店の「天然温泉-天神ゆの華」
(左)8月末閉店の「釣舟茶屋-ざうお-天神店」
(右)9月末閉店の「天然温泉-天神ゆの華」

 福岡市中央区長浜の一角において今年、複数の施設が相次いで閉店した。6月末閉店の「スポーツクラブNAS北天神」を皮切りに、8月末閉店の「釣船茶屋 ざうお 天神店」、9月末(厳密には10月1日午前3時)閉店の「天然温泉 天神ゆの華」だ。

 本誌vol.50(7月末発刊)で詳報しているが、これらの施設の閉店理由は賃貸借契約期間の満了によるものだ。土地の所有者である日本貨物鉄道(株)(JR貨物)では、今年5月に発表した2022年3月期決算の説明資料のなかの主な取り組みの進捗状況の「不動産事業を通じた地域活性化への貢献」の項目で、23年3月期の取り組みとして「千葉みなとや長浜地区(福岡市)の既存開発物件の再開発」を挙げている。再開発の具体的な方針などについては未定だが、前述の3施設に加え、現在も営業中の「エフパーキング北天神」および「ローソン 長浜一丁目店」と合わせて一体開発される可能性もある。

(左)現在も営業中の「エフパーキング北天神」、(中)長浜1449号線、(右)那の津通り
(左)現在も営業中の「エフパーキング北天神」、
(中)長浜1449号線、(右)那の津通り

 周辺の用途地域は商業地域(建ぺい率80%、容積率400%[一部500%])で、市道・長浜臨港線(長浜1443号線、長浜1449号線)を挟んだ北側には、福岡市中央卸売市場鮮魚市場の関連施設が立ち並んでいる。再開発後にできるのが、商業施設なのか、オフィスビルなのか、はたまたマンションなのかはわからないが、立地を考えれば、エリアのランドマークとなり得る何かしらの施設ができてもおかしくはない。

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 福岡市は港湾都市でありながら、海との距離が遠いまちだ。とはいっても、物理的な距離の話ではない。福岡市の都心部である博多から海までの距離は約2.5km、同じく都心部の天神から海までの距離はわずか1km足らずだ。にもかかわらず、博多や天神に港町の風情は皆無といっていい。そうしたなか、前出の長浜地区などの天神北に位置する臨海部や、那珂川河口をわたった対岸に位置する築港本町などの博多区の臨海部は、かろうじて海辺の風情を漂わせる、福岡都心における貴重な海辺空間だといえるだろう。

 今回、中央区の港・長浜・那の津、博多区の築港本町・石城町・沖浜町など、那の津通りから北側にあたる福岡都心の臨海部エリアを、仮に「ベイサイド北天神」と呼称して、その開発の歴史や地域特性、今後の動向などを探ってみたい。

ベイサイド北天神MAP
ベイサイド北天神MAP

国家事業として修築された昭和初期埋立の長浜・須崎

 ベイサイド北天神の大部分は、実は昭和期になってから埋め立てられた土地だ。

 本誌vol.47(4月末発刊)でも紹介しているが、博多港は古来より大陸との交流の起点として、港町・博多の発展の礎となってきた。だが、中世から近世にかけての港の設備はそれほど整っていたわけではない。昭和期より前の博多港は、1908(明治41)年に整備された小規模な船溜まりだけで、那珂川や御笠川といった河川から流入した土砂の堆積などによって水深も浅かった。そのため、500t以上の船は干潮時には入港できず、荷物の積み下ろしは満潮時に限定されるという極めて不便な状況にあった。

 そうした状況の打開のため、博多港が27(昭和2)年11月に第二種重要港湾に指定されたこともきっかけとして、博多港の修築が具体的な進展を見せるようになった。28年7月に臨時港湾調査会において博多港修築計画が決定すると、当時の福岡市長および市会議員が上京して政府への陳情を行い、その甲斐あって同年10月に博多港修築工事国庫補助が閣議決定。31年5月から内務省(当時)の直接工事として、博多港第一期修築工事が着工した。第一期修築工事の概要は、航路・港内を浚渫するとともに、その土砂をもって博多地先17.46haおよび福岡地先(長浜地区)27.54haを埋め立て、博多地先埋立地(中央ふ頭)の西岸に延長400m・水深7.8mの係船岸壁を築造し、東岸は石炭・木材の取扱所とするもの。

 また、西公園下から北東へ長さ1,200mの防波堤を築造して波浪を防ぎ、船溜1,200mの護岸工事を行った。34年4月には、福岡市は港湾課を新設。上屋、倉庫、道路、鉄道などのふ頭の陸上施設の整備を進めていった。そして36年に博多港第一期修築工事が竣工。総工費は376万円だった。余談だが、当時(35年時点)は総理大臣の月給が800円、国家公務員の初任給が75円、大卒銀行員の初任給が73円の時代。同修築工事が国家事業として、いかに巨額の予算を注ぎ込まれたかがわかるだろう。

 この完成を祝うかたちで、36年3月25日から50日間の日程で「博多築港記念大博覧会」が開催された。同博覧会は埋め立てたばかりの須崎浜約26haを会場に、本館や産業館、国防館、軍需工業館、郷土史館などの施設174棟を設け、総予算50万円をかけて行う盛大な催しで、会期中の入場者数は161万人に上った。

(つづく)

【坂田 憲治】

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