2024年04月24日( 水 )

礒山会頭なぜ?身上の気配りは何処へ消えたのか(後)

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「西日本シティ銀行あってこそ私だ」

 5月15日、礒山会頭に面談して次のように懇願した。「17年9月から10月にかけて福岡商工会議所の組織決定を踏まえて礒山会頭の2期目が決定され、そして半年以上、新体制は機能してきました。だから、ぜひとも続投を貫いてください」と。本人は少しの思考時間を経て口を開いた。「いやー、N行を外れる以上、私は会頭を辞めるしかありません。明日からは関係者の方々に相談して次の体制づくりの検討をお願いしたいと考えている」と予想していた発言が返ってきた。

 後日、前出のOBの意見を求めた。「あなたは気骨ある行員として名を馳せた方だ。もしあなたが礒山会頭の立場であったらどう判断しますか?」と率直に切り込んだ。「私も銀行から外れる身になれば辞任しますよ。ただ問題なのはなぜ、このような拗れる事態を招いたかですね」。「なるほど、大手組織に属していた人たちの行動習性はそんなものか!!」と納得しながらも「では商工会議所の討議決定に対する責務をどう負うのか?」という怒りもこみ上げてきた。

なぜ、2期目を受けたのか?

 (3)の設問から進めよう。「礒山会頭!!どうしてあなたは2期目をあっさりと引き受けたのですか?」である。今回の取材で、ボス・久保田会長に「流れとして会頭2期目を断ることできません」との調整をしたという事実を確認できていない。取材範囲から判断すると、していなかった可能性が高い。調整というか事後承諾的な報告はしていたのかもしれない。「商工会議所の議員総会で満場一致で選ばれたから今後、会頭のポストをひっくり返されることはないだろう」と安易に錯覚したのであろうか!!

 そうであれば、礒山氏の最終ビジネスの勲章に傷をつけることになる可能性は高い。17年11月の福岡商工会議所新体制がスタートして4カ月目、産経新聞に「礒山会頭辞任へ」の情報が流れたことこそが異常なのである。銀行OBたちは誰でも察知する。「これはN行トップとの反目、調整つかずの異常事態が発生している」と気づくのである。

 2番手に甘んじていた礒山氏が商工会議所トップに就いた。トップの経験は2年3カ月であった。2期目を満場一致で選ばれた。だからトップとしての姿勢を一貫すれば良かったのだ。「私は議員総会で選ばれたから職責を全うする」ことを宣言して業務に専念するべきだった。ところが、「N行から外れたから会頭を辞任する」と軟弱な発言者に転落する。

 「そうであれば潔く1期目で会頭職を退任する道を選択すれば波風を立てることもなかったのに」という批判の声が高まる。この先からの批判には堪えうるであろうか!!「2番手が往々にしてトップに就くと勘違いする。傲慢になるという意味ではないが、2番手時代の持ち味であった気配り・配慮が欠落する」傾向が往々にしてある。歴史教訓の例にも無数にあるのだが、こういう実例に適応しないとOBの疑問~「礒山さんらしくない根回し不足の発生」を解明できない。

バブル人事の破裂、会頭職の権威失墜

 2年3カ月、礒山氏は福岡商工会議所会頭というトップを経験して100点満点の80点という評価を受けたのであるから人間、多少傲慢になることは許される。ただし、トップらしい肝っ玉を持続させることが条件である。具体的にいえば「俺は商工会議所議員総会で2期目の会頭職に選ばれたから全身全霊、任期を全うする」という不屈の使命感をもつことだ。

 ところが、自分が2期目の会頭に選出された重みも忘れて「もう辞任します」では、「やっぱり2番手が過分の要職に就いた“バブル”であったのだ」という嘲りの声を浴びることになる。トップは決してブレたらいけない。自明の理である。ブレまくっていては福岡商工会議所会頭の権威に傷をつけることになる。

 25日、副会頭・部会長会議において礒山会頭辞任をめぐる第1回目の会議がなされた。「今日の会議の件は他言無用」という取り決めがあったそうだ。それなのに礒山会頭自身は朝日新聞記者に「辞任します」という心証を捉えられている。礒山氏本人の「早く辞任承諾をしていただきたい」という本心が露呈してしまったのかもしれない。

 最後に福岡商工会議所11部会長、全議員の皆さまにお伝えする。2番手、3番手を会頭に据えると今回のような情けない事態を惹起させることを教訓にしていただきたい。

(了)

 
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