2024年04月26日( 金 )

現代の日本医療に必要とされるもの(5)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

カマチグループ 会長 蒲池 真澄 氏
九大病院第一内科 教授 赤司 浩一 氏

九大病院第一内科から東京の大病院へ指導者が赴く

左から蒲池真澄会長、赤司浩一教授


 蒲池 さて、ここまで主にアメリカと比較しながら、日本の医療を見直してきましたが、私なりの結論を申しましょう。私は日本の医療制度をうまく使いながら、そのなかで一番患者さんのためになる医療を行いたいと思っています。そのために、救急医療と回復期リハを両立させながら、一貫した視点で医療を行ってきました。都心へ進出したのも、高齢者難民が増えているという東京都心、とくに回復期リハ病棟数の人口当たりの比率が全国でも最低レベルということに危惧を抱いたからです。


 赤司 関東はある意味において医療後進国だとよく言われています。とにかく人口が集中しているので、医師の数が足りていません。私が所属する九州大学病院第一内科からも、虎ノ門病院やがんセンター中央病院などに指導者が行っています。
 日本で患者が増えたのは、治療対象が広がってきているためでもあります。昔は治療法も限られていましたし、体力が落ちた高齢者に無理な治療を行って苦痛を与えなくてもいいのではないかという考え方がありました。しかし現在は、よく効く薬が開発されたものですから、どんどんと延命が可能になっています。たとえば、さまざまながんもそうですし、肝臓疾患の多くを占めていたC型肝炎でさえ飲み薬で治る病気になりました。いずれは肝臓がんも含め、肝疾患が消滅するのではないかと言われているほどです。


 蒲池 回復期リハの世界も同様ですね。対象者が多くて受け入れが大変です。高齢者で急性期治療の後遺症がある方、けがで筋力や生活力が落ちた人が増えてきていますが、こういう方を自分で生活できるようにするのが我々の使命だと思っています。山口県の下関市で急性期に専念するうちに、回復期が大切だとわかり、昭和57年ごろから取り入れ始めました。急性期と回復期の仕組みを福岡県北九州市で広め、医療のあり方を大きく変えました。だから今度は福岡市で変えようと思って、福岡市東区の和白地区に病院を設立したのです。そしてこれからは関東圏で広めていきます。


 ―─治りにくい病気が治る時代だからこそ、治療対象者が増えていくのですね。


 赤司 高齢者も含め、現在、かなりの疾病がある程度まで治る時代になっています。ただ、すべての人が完治するわけではないので、病気を持ったままの人たちが延命され増加しています。これを外来患者として受け入れるので、管理規模がものすごく大きくなっていくのです。そこから入院が必要な患者が出てきます。人口が多い東京ではベッド数も足りないし、単価も高いでしょう。

回復期リハでカマチグループが日本一になったという事実

 蒲池 私が東京への進出を考えたとき、病院は港区、千代田区、中央区、に集中していました。渋谷や品川、東部北部、埼玉、千葉には病院不足でした。そこで第一段階として蒲田、小金井、赤羽に回復期リハ病棟を建てたのです。ところが、あまりにも患者が来たものですから、もっと病院を大きく、多くすることが我々の役割だろうと考え、原宿、五反田にと、都心部に進出しました。今は急性期病院や患者とその家族から「大変いい役割をしている」と感謝され、我々もいい仕事をしたという満足感を覚えています。


 ―─最初に千葉県の八千代市に病院を建てた、きっかけは。


 蒲池 縁あって、八千代にリハビリの専門学校を作ったところ、大変評判がよく、学生たちの実習先となるような病院を造って欲しいと頼まれたのがきっかけです。今では、この病院は「まだ社会の現役でばりばりと働きたい」という熱意を持った患者さんが集まることで有名です。在宅復帰率も高い。さらにその評判を聞いて、周辺の急性期病院が「早く職場に戻りたいのであれば、八千代リハに行きなさい」と率先して紹介して下さるようになりました。その後、いくつか回復期リハを建てた後、都心にこそ回復期が必要と気付き、原宿にも建てたのです。


 それまでは、土地の値段が高いところでは病院を建てても赤字になってしまうだろう、という常識がまかり通っており、誰も病院を建てなかったのです。坪700万円、2,000坪で140億円のところに建て、赤字が出るだろうと言われましたが、結局2カ月で303床が埋まり、黒字が出ています。たぶんグループ20病院のなかでトップになるでしょう。


 当グループの病院は千葉や所沢にもありますが、これができる前は都心の人たちは、回復期リハを受けようとしたら、草津や伊豆まで行かなくてはなりませんでした。今の当グループ病院の受診者数をみていると、やはり交通が便利な都心に通いたかったのだろうと思います。
 
 ―─都心の人たちのニーズに応えた形になりましたね。


 蒲池 カマチグループは、回復期リハでは日本一になったという自負と事実があります。在宅復帰率は86%で、老人施設などに移る人は14%にすぎません。他の回復リハ病院のほとんどは在宅に帰すのは70%がやっと。80%までにはいかないと聞いています。当グループで育てたセラピストたちも今や2,200人以上になりました。学校法人を造って育てる役割を果たしています。今は他の学校から評判を聞いてセラピストたちが集まってきています。

(つづく)
【聞き手・文:黒岩 理恵子】

 

関連記事