2024年04月20日( 土 )

危険ドラッグで暴走 ベンチャー経営者の末路(中)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 天神の目抜き通りで危険ドラッグによる衝撃的な暴走事故が起きてから1年9カ月余りが過ぎた2015年10月下旬。事故を起こした荒木氏が代表を務める(株)テンペストパワーは、福岡地裁に破産を申し立てた。


主要スタッフが相次いで退職

 12年10月に創業当初からの社員1名、08年頃からの社員2名の計3名が同社を相次いで退職した。競合他社からの引き抜きである。創業当初からの社員はテンペストパワーが商品を卸していた会社、あとの2名も取引先の会社に引き抜かれたのだ。この3名の社員は同社の重要な業務を担っており、仕入先や販売先との人脈も、この3名に集中していたという。


 主要スタッフの退職により同社の業績は大きく落ち込んだ。7億円を超えていた売上高が、翌13年8月期には5億2,315万円にまで減少した。前年比約▲1億8,000万円
の大幅減だ。売上の減少は資金繰りに影響をおよぼし始め、同社は次第に資金繰りに余裕を失っていく。支払いが追い付かない状況となり、当月の売上金を支払いに充てる自転車操業に陥り始めた。このため当座の資金繰りのために、13年7月と12月、ひびき信用金庫と日本政策金融公庫から追加の融資を受けることになった。


 荒木代表は採算性を追求し、合理的な判断として少数精鋭主義を採ったのだが、それが裏目に出た格好だ。少数精鋭は人員の結束が絶対条件であり、事業が伸びれば大きな利益を生む。一方で主要スタッフが離脱すれば大きなダメージを負うことになる。経営者としては想定しておかなければいけないリスクの1つだが、結果を見れば代表の人心掌握に甘さがあったと言われても仕方がないだろう。特定の社員に人脈や情報が集中することを恐れた代表は、それまでの事業形態を改め、システムの充実化に重点を置き始めた。人に頼らない組織づくりにシフトしたのだ。また営業面の立て直しのために新たな販路も自ら開拓した。

 

(つづく)
【特別取材班】

 

関連記事