2024年04月20日( 土 )

【2016展望】Game Changer=古賀氏の擁立へ~大久保勉参議院議員(5・終)

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民主党 参議院議員 大久保 勉 氏

 ――自分が身を引き、代わりに「Game Changer」を登場させる発想は、いつ頃からあったんですか。

off_fukei 大久保 それは安全保障法制の頃ですね。私は経済界の人間だし、まあいろんな財政政策、経済政策、税制の話をしていますが、結局は、国会がそういう議論よりも外交・防衛一色に染まったわけです。そういう時には、そういうことを仕掛けるような人材を発掘し、そこを受け入れるしかない。実は、経済の議論では、与党も野党も共通点が多いんです。

 しかし次の参院選では、ちゃんとした対立軸を作ることが必要です。古賀さんについては、彼の個人的な生い立ち、彼の祖父が昭和20年にミャンマーで戦死したこと、母子家庭であったこと、彼の祖母のお姉さんがアメリカに行き、姉妹で敵味方になるという辛い思いをしたこと。彼自身が、平和に対して強い思いがあります。だから、彼が一番の適任だと思いました。それに対して、自民党は経済政策、TPPに対して農業予算を出すとか、公明党は軽減税率とか、安全保障法制を風化させようとしていますが、古賀さんが「それは違うぞ」ということでバンと打ち出す。逸材だと私は思います。自民党や公明党の支持者でも、「今回はちょっと安倍さんやりすぎじゃないの」と、お灸をすえるつもりで投票に行かないという消極的な反対だったのが、古賀さんの登場により、「そういう思いがあるなら古賀さんに入れましょうか」という人がかなり出てくると思います。

アメリカでは政治もキャリア形成の一環

 ――最後に、大久保議員が政治家を引退された後、何かやってみたいこと、どういう方向に進みたいとか、話せる範囲で教えてください。

 大久保 とりあえず7月までは、選挙対策で精一杯やります。具体的には決まっていませんが、私には経済人の道もあります。もともと参議院議員は一生の仕事とは思っていません。たまたま10年単位ですが、たとえば、一生同じ会社で働くのではなく、段階、段階でいろんなことに挑戦していくキャリアを作っています。

 アメリカなら、キャリア形成はとても自由です。「リボルビングドア(回転ドア)」という言葉があります。金融界から大統領のアドバイザーになって、また金融界に戻ってきたり、あるいは政治家になったりします。それが普通です。20、30年後に、財務アドバイザーとか大臣になりたいなら、私がいたモルガン・スタンレーかゴールドマン・サックス、マッキンゼーに行って、がむしゃらに10年間働き、その後、財務省など官庁に入り、また修行する。そして民間に戻る。それを5年、10年単位で繰り返しながら、キャリアを形成します。

 ――キャリア形成のなかに政治があるのは、政治が家業になっている日本では、すごく先進的な考え方ですね。各界の最先端を知る人たちが代表となって集まり、経済政策を話し合う。また、そこで培った経験を民間にフィードバックしていく流れを作るのは、とても有意義です。

 大久保 「リボルビングドア」が機能しているから、アメリカは強いわけです。民間で最先端の技術を持っている人が財務省や金融庁の職員になり、また職員が民間に下る。民間と役所の間のギャップを減らすことにもつながります。日本の場合は一方通行です。明治の頃は今よりもスピードが緩やかでしたから、一方通行でもよかったのですが、今は技術革新のスピードがものすごく速い。ぼやぼやしていたら、日本の産業界が、韓国やシンガポールに負ける可能性が高い。そのためには、制度を変えていく必要があります。首長だったら、3期12年までにしようという動きもありますが、公職というのは生涯の仕事にすべきではないと思います。そのポストをいろいろな人がやることによって、組織を強くしないといけませんから。

 私自身は、あと6年間、(参議院議員として)頑張る予定でしたが、安保法制の話があり、古賀さんが候補者になってもいいという話がありましたから、自分のほうも決断しようと。何をやるかはまだ決まっていませんが、場合によっては、「リボルビングドア」で民間に帰ることもありますし、もともと政治家として経験を積んでいますから、あるタイミングで地域のために頑張るということもあります。

(了)
【聞き手・構成:山下 康太、文:川元 浩明】

 
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