2024年03月29日( 金 )

世界各国への架橋として惜しみない協力体制を

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エヌビーエス(株) 代表取締役社長 石橋 一海

熱視線を注がれるミャンマー市場

エヌビーエス(株) 石橋 一海 代表取締役社長<

エヌビーエス(株) 石橋 一海 代表取締役社長

 日本雇用の7割以上をカバーする中小企業。企業の存続はもちろん、社会貢献としての雇用維持・創出も視野に入れ、先細りすることが予想される国内市場から、広く海外へ目を向けることも必要だ。エヌビーエス(株)代表取締役の石橋一海氏は現在、その手助けとなるべく準備を整えている。

 「アジア市場の開拓、とくにミャンマーでの市場開拓に期待を寄せております。民主化がなされてまだ3年程度ですので、価値観の相違等難しい問題もありますが、教育環境を始めとする社会インフラ整備で貢献できる事業は、大変多いと考えております」(石橋代表)。

 日本政府としてもアジア市場の開拓には力を入れており、安倍首相のアジア遊歴といったトップ外交の実施からも、そのことはうかがえる。そのなかで重要になってくるのは現地に拠点を構える日本企業のサポートであり、現地住民への利の還元である。政府は『公益財団法人国際人材育成機構』を立ち上げ、建築業・製造業のための外国人技能実習生の受け入れに関する支援体制を整えている。自国の発展はあくまで自国民の手に委ね、人材が人材を生み、彼ら彼女らが得た給与で自国経済を活性化させる。この流れをつくり出すことが重要だ。

 石橋代表は、官のみが窓口になるのではなく、民間の側からも窓口を提供することで、外国人実習生、受け入れ先となる日本の民間企業に選択肢を与えようとしている。それこそが、石橋代表が「80歳を迎えるまでには完璧なかたちにしたい」と意気込む、『アジアビジネス㈿』である。官主導の受け入れ先ももちろん、優秀な人材と海外市場の開拓に意欲を燃やす日本企業との橋渡し役として便利なツールではあるが、官が運営するだけに基本となる選考基準が大変厳しく、自主性を持って「この会社で技術指導を受けたい!」「この人をうちで受け入れたい!」という当事者の意思が通り難いという点がある。石橋代表はそういった敷居の高さを取り払うことで、より円滑な経済支援を実施しようとしている。人、モノ、金の交流は基本的には「自由」であることが理想である。その理想に限りなく近いものをつくることで、石橋代表はビジネスマンとしての花道を飾ろうとしているのだ。

信頼関係醸成のためにいざ現地へ

 「日本の大手企業も、ミャンマーでの社会インフラ整備事業に積極的です。現地採用スタッフ、日本から現地入りするスタッフ双方への現場住居の設備、またスタッフ同士でのコミュニケーションが上手くできるまでの通訳等の人的支援までも含めて、私たちが作業工程がスムーズに進んでいけるようお手伝いできればと考えております」(石橋代表)。
 石橋代表が貢献の場として注目するミャンマー。とくに官民が一体となって進めるティラワ経済特区には、今後、ますます資本投入が期待されるという。この特区では、交通整備を始め農業支援、そこから派生する食品産業の充実に力が入れられている。すでに日本企業と地元ミャンマー企業との合弁農場も運営されている。食品でいえば、ロッテリア等のファストフード店を始め、スーパー、ショッピングモールといった流通業も参入済だ。食品コーナーには、同じアジア圏から韓国食品、日本食品(とくに調味料が人気)が並ぶ。まだまだ農村人口が圧倒的に多いミャンマーにとっても、このティラワ経済特区の存在はありがたい。仕事帰りに一杯飲める飲食店や、農業用の機械のレンタルといった業種も、これからどんどん増えていくと思われる。
 「私たちがお手伝いさせていただけることは、まだまだたくさんあると考えております」(石橋代表)。石橋代表の広く世界へ向けられた貢献意識は、福岡の国際都市化に地理的な優位以上のものをもたらしてくれる。

※記事内容は2015年8月31日時点のもの

<COMPANY INFORMATION>
エヌビーエス(株)
代 表:石橋 一海
所在地:福岡市博多区奈良屋町5-10
設 立:1985年6月
資本金:4,725万円
TEL:092-263-8833
URL:http://www.nbskk.co.jp/

<プロフィール>
isibasi_pr石橋 一海(いしばし かずみ)
1942年福岡県生まれ。高校卒業後、小野田セメントに入社。25歳で退社し「角栄計装」設立。72年に退社し「石橋電業社」を設立。88年同社倒産後事業を引き継いだ「エヌビーエス(株)」に入社。92年代表取締役社長就任。

 

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