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決着した「クロネコヤマト」の後継者問題 (2)
 

追放された小倉ジュニア


■ 御曹司をめぐる派閥抗争

 昌男氏の長男・康嗣氏は慶応大学卒業後、大日本印刷を経て1989年にヤマト運輸に入社。99年に39歳で取締役に就いた。だが、昌男氏の生前は後継者と目されていなかった。その処遇が迷走するのは昌男氏が亡くなってから。御曹司派と反御曹司派の壮絶な派閥争いが火を吹き、社内は動揺した。

 05年11月、持ち株会社ヤマトホールディングス(HD)に移行する際に、ヤマト運輸の山崎篤社長(61)がヤマトHDの社長に就任する予定であった。突如、「急病」を理由に辞任。そのため、康嗣氏の昇格が有力視され、「康嗣氏が社長内定」と報じる新聞もあった。既成事実化するため御曹司派がリークしたのだ。

 持ち株会社の社長の座を巡って、派閥抗争が激化。社内は大混乱。97年から5年間社長を務めた“大番頭”の有富慶二氏(67)が暫定的に会長兼社長に就任して収拾。半年後に、新社長を決定することになった。

 この時の人事では、康嗣氏は持ち株会社の取締役に就き、事業子会社になるヤマト運輸社長に就任。関東支社長からヤマト運輸社長に大抜擢された。御曹司派が優勢だった。
 この間、御曹司を担ぐ勢力と、反御曹司派の派閥抗争は激化。派閥抗争の渦中で、御曹司を標的にした女性スキャンダルの怪文書が乱れ飛んだ。

 反御曹司派が巻き返しに出た。翌年の06年5月、後継社長を決めるときには、康嗣氏の名前は早くから外れた。最有力候補は、みずほコーポレート銀行(CB)出身で日本郵船との資本・業務提携を担当した木川真・常務執行役員(57)。ところが、営業畑出身の生え抜きの瀬戸薫・常務執行役員(59)が新社長に昇格。康嗣氏はヤマトHDの取締役を退いた。


■ 留学名目で追放

 派閥抗争に決着がついたのは今年3月。ヤマト運輸社長の小倉康嗣氏が持ち株会社であるヤマトHD専務執行役員に転じ、後任社長にはみずほCB出身の木川真・ヤマトHD取締役が昇格した。

 康嗣氏の処遇をめぐる2年間の迷走の果てに、トップ人事が行われた。どういう決着が図られたかは明らかだ。

 ヤマト運輸社長に昇格した木川氏は、持ち株会社の代表権を持つ取締役も引き続き務める。ヤマト運輸社長を退いた康嗣氏は、ヤマトHD専務の肩書きはついているが、あくまで執行役員で、取締役会に出席できる取締役ではない。兼任していたヤマトHDの取締役を外され、中核子会社の社長の座も追われた。明らかな降格人事だ。

 業界関係者によれば、
「次期トップは木川氏で固まったということ。康嗣氏は、10月に民営化される日本郵政公社と渡り合っていくには、力不足とみなされた」
 という。

 御曹司派は完敗。半年後の9月に、康嗣氏は留学を名目に米国に追放されたのである。

 資本上、創業家である小倉家とヤマトの関係はない。だが、「宅配便の生みの親」である昌男氏の存在があまりに大きすぎたため、御曹司をないがしろにできない。その気配りが、小倉ジュニアの処遇をめぐって派閥抗争を引き起こし迷走した原因だ。

 世襲政治家が突然入院して雲隠れするように、世襲経営者がポストを離れるときには、海外留学が口実になるといえそうだ。




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