2024年04月26日( 金 )

九州 歴史

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 九州各地の歴史を経済の面から解説。
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(7)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(7)
旧五市の流れを汲む区ごとの地域特性をもち、それぞれに特徴的なまちづくりが進んでいる北九州市だが、市単独だけではなく、近隣都市との連携による広域的な活性化にも取り組んでいる...
堀江貴文 まちづくり 北九州 北九州 福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(6)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(6)
北九州市の北部、九州の最北端に位置し、関門海峡を挟んで下関市と向かい合う門司区は、古くより九州の陸の玄関口として位置づけられてきた。近年では門司港駅を中心とする門司港エリアは...
コストコホールセールジャパン株式会社 まちづくり 北九州 北九州 福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(5)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(5)
八幡東区は、官営八幡製鐵所の操業以降、製鉄業で栄えてきたまちで、今なお“ものづくりのまち・北九州”のシンボルとして東田第一高炉跡が屹立するほか、15年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産もいくつか存在...
コストコホールセールジャパン株式会社 まちづくり 北九州 北九州 福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(4)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(4)
前述の通り五市が合併して誕生した北九州市は、規模は異なるものの旧五市それぞれに中心市街地をもち、合併から半世紀以上経って今なお、それぞれの地域性が大きく異なるという特徴をもっている...
堀江貴文 まちづくり 北九州 北九州 福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(3)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(3)
前述のように激しい空襲被害によって市街地が焼け野原になりながらも、戦後の北九州エリアは急速な復興・発展を遂げていくことになる。それを支えたのは、八幡製鐵所の存在だ...
まちづくり 北九州 北九州 福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(2)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(2)
明治期に入ると、1871(明治4)年7月の廃藩置県によって小倉藩が「豊津県」となった。その後、同年11月には第1次府県統合によって豊前国一帯が「小倉県」となり、76年2月、福岡県に編入された...
まちづくり 北九州 北九州 福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(1)
工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(1)
九州および福岡県の最北端に位置し、関門海峡を臨んで「九州の玄関口」として栄えてきた歴史をもつ北九州市。1963年2月に五市(門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市)が対等合併して生まれた...
福岡 歴史 スーパーシティ候補地 北九州の歩み|まちづくりvol.37
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(4)
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(4)
終戦後、席田飛行場は米軍によって接収され、在日米軍板付基地(板付飛行場)となった。朝鮮戦争が勃発した際には、日本国内における最前線基地として、同基地から朝鮮半島に向けて米軍の航空機が出撃...
大和ハウス工業株式会社 福岡 青果市場跡地 福岡 歴史 コロナ禍で問われる観光立国|まちづくりvol.36
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(3)
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(3)
7世紀ごろの飛鳥期には、博多の港から地方行政機関「大宰府」に向けて伸びる古代の官道が整備された模様で、今の九州管区警察学校(板付6丁目)付近からその痕跡が見つかっている...
福岡 青果市場跡地 福岡 歴史 コロナ禍で問われる観光立国|まちづくりvol.36
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(2)
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(2)
古代~中世の福岡・博多は、冷泉津と呼ばれる博多湾の入り江が深く湾入しており、現在よりもずっと内陸側に海岸線が食い込んでいたとされている...
福岡 青果市場跡地 福岡 歴史 コロナ禍で問われる観光立国|まちづくりvol.36
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(1)
来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(1)
福岡市博多区那珂の青果市場跡地で、大規模な工事が着々と進んでいる...
福岡 青果市場跡地 福岡 歴史 コロナ禍で問われる観光立国|まちづくりvol.36
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(6)
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(6)
16年4月、最大震度7を観測した「熊本地震」が発生。前震と本震の2度にわたる巨大地震は、熊本県ならびに大分県、長崎県などの広範囲に甚大な被害をもたらした...
コストコホールセールジャパン株式会社 熊本 歴史 熊本地震から5年 復旧から復興へ|まちづくりvol.35
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(5)
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(5)
戦後、熊本市では戦災復興計画基本方針に基づいて、恒久的復興計画を策定した。これは、都市機能の向上や衛生面および都市美の増進など、近代都市としての形態を整えながら急速な復興を進めることを図るもので、46年9月には用途地域および都市計画道路を新たに計画決定...
熊本 歴史 熊本地震から5年 復旧から復興へ|まちづくりvol.35
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(4)
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(4)
1891年7月には、九州鉄道の高瀬(現・玉名駅)~春日(現・熊本駅)間が開通。このとき、植木駅、池田駅(現・上熊本駅)も同時に開業している。当初の計画では、中心地に近い新町あたりに駅が設けられるはずだったが...
熊本 歴史 熊本地震から5年 復旧から復興へ|まちづくりvol.35
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(3)
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(3)
明治期に入ると、1871(明治4)年7月の廃藩置県により、熊本藩は「熊本県」となった。このときの熊本県は、熊本城下町を含む飽田・託麻郡および玉名・山鹿・山本・合志・菊池・阿蘇・上益城郡の9郡だった...
株式会社シフトライフ 熊本 歴史 熊本地震から5年 復旧から復興へ|まちづくりvol.35
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(2)
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(2)
清正公が熊本城の築城と併せて行ったとされるのが、城下町の整備や、治山や治水、干拓による土地開発だ。まず、水害対策および内堀としての活用のために、白川と坪井川の付け替えを行い...
熊本 歴史 熊本地震から5年 復旧から復興へ|まちづくりvol.35
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(1)
【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(1)
九州のほぼ中央に位置し、2012年4月に九州で3番目(全国20番目)の政令指定都市となった熊本市。抱える人口も73万8,385人(21年3月1日現在)と、福岡市、北九州市に次いで九州で3番目だ...
熊本 歴史 熊本地震から5年 復旧から復興へ|まちづくりvol.35
ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(6)
ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(6)
一方の別府市では、戦後の別府観光の再建に向けて、47年8月に別府商工会議所を中心に、別府国際観光港設置期成会が発足。また、同月には1日1便の別府~阪神間の航路が復活し、徐々に観光再建が進んでいった...
別府 歴史 県都と泉都 大分 別府|まちづくりvol.34
ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(5)
ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(5)
大分市では、灰燼に帰していた中心市街地の復興を目的とした大分復興土地区画整理事業を46年度から実施。64年10月まで続いた同事業は施行面積101.9haにわたって、幹線道路の整備のほか...
大分 歴史 県都と泉都 大分 別府|まちづくりvol.34
ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(4)
ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(4)
別府市では、大正時代から昭和初期にかけては別荘地としての開発も進み、多くの文化人・財界人が別府に別荘を構えた。とくに著名なのは、炭鉱王・伊藤伝右衛門が建てた「赤銅御殿」や、同じく炭鉱王・麻生太吉が建てた「麻生別荘」などだ...
別府 歴史 大分 歴史 県都と泉都 大分 別府|まちづくりvol.34