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コダマの核心

中小オーナー経営者の気質が変わった 九州八重洲興業企業買収にみる企業研究 (2) 二代目は執念がない
コダマの核心
2008年4月17日 16:17

息子に事業継承させたい執念
      
 九州八重洲興業の前身・八重洲興業を設立させた梶勲氏は、神奈川県川崎市で戦前からの農業経営の後継ぎであった。要は地ゴロの大地主であったのだ。川崎市周辺も都市化されていき、勢い勲氏が相続した不動産も高騰していった。その高値化した資産を背景に金融機関が後押ししてくれたお陰で八重洲興業は業容拡大を図っていくことが可能になった。そして、前回レポートしたように福岡にも進出してきたのである。ピーク時には東京と同じ規模の売上げを福岡=北部九州で稼いでいた。言うなれば八重洲興業にとってばかりでなく勲氏にとても福岡は第二の故郷になっていった。

 その後、勲氏はメインバンクの策謀に負けて追い出された。しかし、福岡で九州八重洲興業を立ち上げようとする社員たちの熱意にほだされて福岡に下ってきた。ただ本音のところは「長男・一政氏に事業を継承させてやりたい」という強い親心があったことは間違いない。これが会社立ち上げた最大の動機づけであったようだ。実際、会社を設立して間もなく東京から一政氏を引き寄せた。4年ほどして勲氏は一政氏に政権を譲って東京に凱旋した。本人は「息子に事業を譲ったことで役割は済んだ」と意気揚々と福岡を後にした。


有能な一面はあったが・・・

 二代目として一政氏は九州八重洲興業の陣頭指揮を執った。同社の絶頂期は昭和62年から平成2~3年であっただろうか。時代のバックアップがあったとしても、一政社長に有能な経営器量があったからこそ業績が進展したことも事実だ。同氏はボンボン二代目にありがちな羽目を外すような馬鹿な振る舞いを辞する自己規律を有していた。だからこそ社員たちからも慕われてきた。「二代目の甘ちゃんが放漫経営で潰した」と言われないように肝に銘じていたことは尊敬に値する。

 ところが経営者は企業存続させるには蛇鬼の心境の要素も必要だ。確かに会社に「ファミリー」風土を定着させたことは一政氏の人柄によるものだ。社員たちの離社も少なかった。ただ裏を返すと、同氏が経営上の厳しい嫌事を言わないから社員も良い心地でいられた一面があった証拠でもある。その延長上には中小企業の延命に欠かせない、組織改革・人事刷新などに目をつぶる経営手法が浮かんでくる。二代目の「格好良し」にありがちな習性は、営業指導力では有能な側面を見せる一方、周囲から恨まれるかもしれない社内リストラなど、守りの改革から逃避したがる負の側面を露呈することだ。

 一政氏もまたその法則に捕捉されていた。三代目を壮右氏にバトンタッチしたい意向を切望しているのであれば、金融機関と激突・論争をすれば良かった。同業者で九州銀行、親和銀行とうまく立ち回ったオーナー経営者がいる。この創業経営者と二代目一政氏とでは企業防衛への執念には雲泥の差がある。もちろん、「会社を手放しても一族は飯を食うのにも困らない」という余裕があるから淡白でおれたのであろう。会社が陥没すれば一党全員が終わりという局面であれば事態の変化はあったのかもしれない。

つづく

    

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