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コダマの核心

丸美 瓦解の必然(4)金丸氏には絶大な運があったのに(中)
コダマの核心
2008年8月 4日 18:24

子分を引き連れて

 丸美には絶大な佐賀銀行のバックアップがあった。金丸氏の管理物件を増大させるために新興マンション業者をグループ化した。そのテクニックは銀行信用のない点をカバーしてやることだ。『丸美銀行』の役割をしてやることである。資金面の支援の恩を与えて代わりに丸美側は売りだしたマンションの管理案件を確保した。この戦略は佐賀銀行としても、福岡都市圏の開拓計画にピッタリであったために強力な後押しをしたのである。

 その子分格の筆頭が、福岡地行であり理研ハウス、ランドクリエーション、アルバコーポレーションとピーク時には5~6社に及んだ。この作戦が功を奏して管理物件を短期間で急増することに成功した。ところが資金力がつけばこの親分・子分関係を打破する業者が生まれるのは世の法則である。一番先に自立の道を踏み出したのは理研ハウスであった。丸美側は理研ハウスの後釜をグランディアに指名した。

 この後に触れる佐賀銀行の丸美に対する融資ストップの事態になった際には各子分格のマンション企業群は理研ハウス同様に自立化の道を歩んだ。最後に残ったのはグランディアのみとなった。巣立っていっても管理物件は残る。丸美の企業体質は強固になり2002年9月には株式公開準備室を開設した(オーナーで我儘経営に慣れ親しんだ金丸氏が上場に憧れたことも瓦解の遠因になるのだ。後述する)。

佐賀銀行の掌返し

 2002年9月に株式公開準備室を開設したころから丸美と佐賀銀行の関係がキナ臭い関係に突入していった。2002年末から2003年の新年には丸美は危うい資金繰りに転落したのだ。業績不振で資金険悪状態に転落したのではない。業績は順調に推移をしていた。ヤバくなったのは佐賀銀行が融資の転がしをスットプしたからである。

 当時を取材した際の金丸オーナーの談話を紹介する。「佐銀さんが突然、融資を全面的に絞るとは予想だにしなかった。絞り揉まれてきた危機感は察知していたが、ビタ一文も出なくなるとは考えもしなかった。とにかく手持ちの金を掻きまくって返済・決済資金を捻出した」と。普通の中小企業であればメインから融資の中止仕打ちを浴びれば首を吊っていたところだろう。ここが一般の経営者とは違う非常にタフな一面を持っている金丸氏だ。残った、残り切ったのだ。

 佐賀銀行の掌返しの蛮行の背景には、様々な憶測が流れている。(1)説は佐賀でも福岡でも佐賀銀行は借入過剰の企業を潰し始めていた。その一環として丸美も狙われたというのだが、同社の経営内容は悪くなかった。(2)説は金丸氏があまり佐銀の言うことをきかなくなり嫉妬のあまりに特定幹部が刺したという説もあった。(3)説は力をつけてきた佐銀メイン先の企業が佐銀に刺すような画策をしたというものだ。

 どういう背景があったとしても今や真相は闇の中。2002年末から2003年にかけて金丸氏は、同氏にとって経営者人生の最初で最大のピンチを迎えたのである。この最大の危機にも同氏は平然と言いきった。「銀行から金を借りなくて生きていける資金調達のノウハウを修得すれば企業は充分に生きていける」と豪語したのである。前述した通りに資金の日干し(融資回収)という佐銀の意図を汲み取って金丸氏は不動産ファンドの資金調達の勉強を社内で必死になって研究していたのである。

つづく

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