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コダマの核心

丸美 瓦解の必然(5)金丸氏には絶大な運があったのに(下)
コダマの核心
2008年8月 5日 10:10

佐銀との決別には拍手喝采を送った

 2003年という年は佐賀銀行が取引先を見放す(再生を含めて)時期であった。福岡ではアーサーホームを潰し(アーサーヒューマネットで事業再生をする)、東峰住宅産業も同じ扱いをしていた。極めつけは佐賀の豊栄建設を潰した時で債権者が怒った。佐銀のある支店では「豊栄建設は大丈夫」と保証発言をしたことを信じて取引をした債権者が数多くあった。その大半は同行との付き合いがあったのだ。この詐欺師紛いの二枚舌の画策をしたことで佐銀は福岡都市圏で得意先を大幅に失った。

 ここで金丸氏の偉大さを垣間見た。佐銀から苛め=実質は丸美潰し工作=を受けた同氏は当時の取引先企業に佐銀に対する巷の酷評を耳に入れようとした。リップサービスの意味合いもあったが――。こちらの話が終わるのを待たずして「佐賀銀行のことはどうでも良い。うちはうちの道を歩んでいるし。中小企業の経営者の方々も銀行を批判する前に自前で資金調達をする努力をする方が賢明である。掌返しの行員たちを相手にしてグダグダと愚痴を言っても時間の無駄だ」と言い切った。

 本来ならば佐銀の過去の仕打ちに対する本音の一つも発したくなるはずだが、全くかってのメインバンクの与太話に関心を持たなかった。ある意味では金丸氏は中小企業オーナー経営者の強い事業家魂を持つ見本になっていたのだ。2003年という年は同氏のビジネス人生において一番、輝いていた時期かもしれない。「さー銀行に資金を頼らずとも暴れてやるぞ」と燃え上っていた。同氏の関心事は新たな事業展開だけであった。この佐銀・銀行と決別し事業拡大へ挑戦する金丸氏の姿勢に感銘を覚え我々は拍手喝采を送った。バスを貸し切って30名の経営者たちをロマネスクリゾート霧島に宿泊をさせてゴルフコンペをするなどの後方支援を行ったこともあった。思えば懐かしい。

 銀行の資金に頼らない=不動産ファンドを活用した=事業の展開は凄まじかった。まず2003年9月に本社のビルを証券化した。いうなれば会社の負債のオフバランス化である。そして一瞬にしてオフィスビルを買いまくっていった。中央区赤坂、博多区博多駅前、北九州市小倉北区堺町、熊本市水道町と矢継ぎ早にビルを買い占めていった。2003年時点ではまだ買い手が少なくそれなりの単価を提示できれば不動産取得は容易であった(「博多駅前二丁目のビルは高い買い物だった」と囁かれた)。

 勢いづいた結果として大阪にも進出した。掌握案件は勉強の成果を生かして証券化をしていったのだ。この時点までは金丸氏の猪突猛進の攻撃には筆者も不安を抱かなかった。マンション管理物件の増大戦略は、子会社化したグランディアと共同事業でマンション分譲事業を展開していくことに絞り込んだ。そうした中で上場戦略の一環として2004年10月に福岡グリーンシートに登録をした。今から振り返ると2003年、2004年という年は金丸氏にとってビッグイヤーだったのである。

つづく

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