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東京レポート

CSKのドン・青園雅紘会長が引責辞任(上)
東京レポート
2009年2月17日 11:47

 引責辞任―。責任を自分の身に引き受けて地位から退くことをいう。世界的な景気低迷で、大手企業は軒並み巨額な赤字決算に陥ったが、トップが引責辞任したという話は聞かない。米国発金融危機は、直下型地震に見舞われた天災みたいなもので、経営の失敗という人災ではないという思いが強いからだろう。
 そんななか、引責辞任という言葉が飛び込んできた。情報サービス大手のCSKホールディングス(東京都港区)の最高実力者である青園雅紘会長兼取締役会議長(64)が引責辞任するというのだ。

金融サービス事業で巨額な赤字

 CSKホールディングス(HD、福山義人社長)は2月13日、2009年3月期の連結決算の予想を発表した。売上高は2,050億円で、最終損益は1,040億円の赤字(前期は12億円の黒字)になる見通し。
 売上高の半分に達する巨額赤字は、金融サービス事業の不動産証券化ビジネスで、保有する不動産の評価損を652億円計上したためだ。上場以来初の無配に転落。横浜市の新都心、みなとみらい21地区に442億円を投じて地上33階建ての本社ビルを建設する予定で、着工寸前だったが、その計画中止も正式に発表した。
 経営責任を明確にするために、不動産証券化事業を推進した青園会長が引責辞任する。CSKはもともとシステムエンジニアリングなどの情報サービスが本業。激烈な権力闘争に勝ち抜いてワンマン体制を築いた青園氏は、儲からない情報サービスから、大きく稼げる金融や証券に力を入れたが、結局、脱本業で失速してしまった。

遅咲きの起業家、大川功

 CSKの創業者は故・大川功氏(1926~2001年)。大阪生まれ。終戦直後の48年、早稲田大学専門部工科(電気)を卒業。だが、肺結核のため8年間の闘病生活を送った。結核は不治の病といわれていた時代だ。新薬の発見により奇蹟的に治癒した。
 30歳でようやく社会に復帰した大川氏は、兄が経営する会計事務所で働く。それまで経理の勉強をしたことがなかったため、法人税法や簿記の本をまるまる暗記するまでにむさぼり読んだ。兄の会計事務所で、いくつかの中小企業を担当するようになった。
 そんな折、「東京の日本計算センターが大阪に進出を計画しているが、手伝ってみる気はないか」と誘われた。いつまでも、兄の事務所に居候するわけにはいかなかったので、渡りに舟で飛びついた。しかし、内紛に巻き込まれて嫌になり、2年で辞めた。
 68年10月、大川氏はCSKを旗揚げした。CSKはコンピュータサービス株式会社の頭文字からとった。時に42歳。遅咲きの起業家だ。だが、順風満帆とはいかなかった。82年に、情報処理業として初めて株式を店頭公開したことから、成長に弾みがついた。83年にゲーム機大手のセガを買収したのを手始めに次々とM&A(合併・買収)を繰り返し、一代でCSKグループを築いた。晩年はベンチャー起業家のパトロンになった。(つづく)

【日下淳】

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