ゼネコン(総合建設業)を捨てることに拘らない
大高建設には前史がある。岡崎工業福岡支店時代がそれである。岡崎工業は新日鉄との関係が深い。深いゆえに鉄骨を軸とした工事を請け負ってきた。鉄骨建築においては、他者の追随を許さない技術力を蓄積してきたのであった。大高建設は前史から2つの財産を継承してきたという強味があったからこそ、短期間で企業基盤を確立することが可能であったのだ。同社が設立された1975年3月当時、東区の流通センターの建設が本格化していた。この物流センター建設をことごとく受注できたことで業績が急伸した。瞬く間に『倉庫建設のオオタカ』という威名が定着したのである。この仕事での支払い方法は「前途・中間・竣工」という3分割となっていた。お陰で資金立替に苦労せずにスタートすることができた。現在の無借金の源泉はここにある。
大木会長に「さすが戦略眼に長けていましたね」と称賛すると「たまたま鉄骨工事の実績があっただけのことだ。根が臆病であるからやれることしかやってこなかった」といたって謙虚な回答が返ってきた。鉄骨に特化した建築物しか受注してこなかった故にマンションブームが過ぎ去っても業績には左右されない(マンション工事の受注に頼りきっていた業者は方向転換策を見出すのに四苦八苦している)。
さらに同社の場合は鉄骨関連の工事が主体であったために『総合請負』というプライドにはあまり固守しない社内風土がある。拘るのは「鉄骨に付随する技術力では同業他社には負けるな、遅れを取るな!!」という意識だ。大木会長が「今後、勝ち残るためには現状の技術力に一層磨きをかけろ!!」と檄を飛ばしているのは「鉄骨工事周辺の技術力に関しては同業を圧倒的に離してしまえ!!」ということなのだ。
物流倉庫、店舗の受注環境も非常に険しい。短期間で回復する見通しはない。同社が得意とするエリアも楽観視できない現状なのだ。ではどうするのか。「名を捨てて実を取る」戦略に方向転換することなのである(『総合建設業』に拘らないということ)。要は新日鉄との関係を深堀りして仕事を確保するという戦略である。大高建設は設立以来、この会社の協力業者としての取引実績があり30年以上の間、信用を培ってきた。大木会長は九州地区の協力会の会長の要職にある。
新日鉄の関係でいえばアイランドシティでの高級賃貸アパートのJVが印象的だ。大木会長の弁によると「本来は当方が下請けの関係になるのにわざわざJVの関係に格上げしてくれる新日鉄さんのお気配りには頭が下がる」となる。2008年3月期の決算においては、尊敬する新日鉄関連からの受注した額が完工高の半分を占めた。前期はそれが30%内外であった。工事の大半は鉄骨及び鉄を素材にした建築物であるから大高建設がもっとも得意としてきた技術領域である。「請負業の場合には安定した受注が見込まれればいろいろな工夫が講じられる。新日鉄さんの場合は建設不況といえども受注力は桁違いだ。我が社として期待される技術力に一段の磨きをかけていけば、声をかけて頂く機会が増加するだろう」と予測をたてる。前月一杯で古参幹部の退社(定年退職を含む)が相次いだ。どうしても若い社員の育成が緊急の課題になっている。25歳前後の中途要員を5名ほど採用することにした。激変時代には捨てるものは捨てて強い武器には更なる勢いをつけて勝ち残る鉄則を展開している大高建設の50周年にむけての闘いに注目していきたい。
<会社プロフィール>
大高建設株式会社
住所 福岡市博多区上牟田1丁目29番6号
設立 1975年3月 資本金 9,500万円
代表取締役社長兼会長 大木孝朋