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東京レポート

産業活力再生法を申請するパイオニア 遅きに逸したテレビ事業からの撤退(上)
東京レポート
2009年5月25日 08:00

名門企業の失速が相次ぐ。パイオニア(東京・目黒区、小谷進社長)も、その1社だ。2009年3月期の連結当期損益は1,305億円と過去最大の赤字。2010年3月期も830億円の赤字予想で、当期赤字は6年連続となる。産業活力再生法による公的資金を活用する意向を明らかにしており、まさに底が抜けた状態だ。

テレビ事業から完全撤退

 パイオニアは、プラズマテレビで1兆円企業になる青写真を描いていたが、液晶テレビはシャープ、プラズマテレビはパナソニックが圧勝。パイオニアは薄型テレビ戦争に大敗し、業績不振が続く最大の原因を作ってしまったかたちだ。
 パイオニアが完敗したのは、創業家が阻害要因になったというのが、経営陣のコンセンサスになっていた。パイオニアが創業家の桎梏を断ち切るのは昨年11月。須藤民彦社長が業績不振の責任を取って社長を退き、小谷進常務取締役が社長に昇格した。小谷氏は常務執行役員から6月に常務に昇進したばかり。創業家一族で元社長の伊藤周男氏も業績不振を理由に06年に辞任しており、2代続けての引責辞任という異常な事態だ。
 社長に就任した小谷氏の決断は、経営の柱だったテレビ事業からの撤退。今年2月に、創業家に気兼ねして、経営陣が口に出せなかったテレビからの全面撤退を発表した。パイオニアの最大の懸案に決着をつけたのだ。
 「市場変化は想定をはるかに上回っていた」というのが撤退の弁。今後は、カーナビゲーション、カーオーディオなど車載用品専業メーカーになるという。

オーディオ御三家

 創業者は松本望氏(社長在任1938~71年)。牧師の次男として神戸市に生まれた。アメリカ製のダイナミックススピーカーに聴き惚れて、自分の手で作りたいと一念発起。38(昭和13)年に東京の文京区音羽町で福音商会電機製作所を設立。親譲りの敬虔なクリスチャンだった松本氏は社名に「福音」をつけ、スピーカーの商標を「パイオニア」にした。
 パイオニアが音響メーカーとして認知されるようになるのは62(昭和37)年に世界初のセパレート型のステレオを発売してから。オーディオブーム全盛時代には、山水電気、トリオ(現・ケンウッド)と並び「オーディオ御三家」と呼ばれた。
 中興の祖は2代目社長の石塚庸三氏(71~82年)。パイオニアは中途採用組を活用してきたが、松本氏がスカウトした第1号が東芝出身の石塚氏だった。石塚氏が社長時代にパイオニアは急成長。創業者の松本氏ら社内の反対派を押し切り、レーザーディスク事業を立ち上げたことは「石塚神話」のハイライトだ。
 石塚氏がスター経営者としてマスコミの寵児になるにつれ、創業者との確執は深刻化していった。松本は虚像になることを嫌い一貫してマスコミを避けてきたからだ。パイオニアがソニーの株価を抜いてオーディオのトップメーカーになった時、松本氏は石塚氏に「君が社長でなかったら、もっと会社が良くなっていたかもしれぬ。マスコミに出るのはよいが、常に社員の代表であることを忘れぬよう」と釘を刺したという逸話が残る。
 松本氏は自分がオーナーであることを見せつけたのである。創業家一族に、アンチ石塚の気運が高まったのは、「石塚社長の長期政権になったら息子たちの出番がなくなる」という不安だった。社内抗争の心労から、石塚氏は82(昭和57)年出張先のソウルで急逝した。以後、パイオニアの社内で、石塚氏の名を口にすることはタブーになった。
(つづく)

【日下淳】

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