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定数削減議論の底流にあるものは
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2009年5月30日 08:32

  29日、自民党の古賀誠選対委員長や中川元幹事長ら大物議員が参加する議員連盟が発足した。名称はズバリ「衆院定数300」(太田誠一会長)。現在480の衆院定数を300に減らすことを目指すという。これに先立ち、同党の菅義偉選対副委員長は、衆院の議員定数を50程度減らすことを次期総選挙のマニフェストに明記すべきだと提唱していた。民主党が07年参院選から80議席減らすとしてきたことに対抗するためと見られる。つまり自民党内の動きは選挙向けのパフォーマンスである。しかし、国民の間では議員の数を減らすことに対し、心から賛同する意見が多い。「国会議員の数が多すぎる」「議員定数を減らせ」。大方の有権者が抱いている感情であろう。多様な民意を政治に反映させるためには、一定の議員数が必要なはずだが、なぜ議員定数削減に共感が集まるのだろう。

 定数削減を求める声の根底には、衆院480名、参院242名の合計722名に及ぶ国会議員の大半が、給料に見合った仕事をしていないと見られていることがある。のべつテレビに出てきては有権者受けのよさそうな発言を繰り返す政治家もいるが、これは本来の仕事ではない。ましてやバラエティ番組に出て知名度を上げることばかり考える政治家は、即刻所属を政党からタレント事務所に変えたほうがいい。こうした方々が政治家を軽い存在にしていることは間違いないのだ。政治家に求められているのは、国家・国民の今を直視し、明日に向かって公約を誠実に履行する姿だろう。

 選挙のたびに、さまざまな公約を並べたてバラ色の未来を約束しておきながら、任期中にその使命を果たす政治家は少ない。この国には、市長村会議員から国会議員まで、あまたの「政治家」が存在する。その人たちが「公約」を実行していれば、とっくの昔に理想的な社会になっているはずだ。しかし、この国の政治はもちろん、経済、教育、どれをとっても「悪化」する一方である。相次ぐ倒産、雇用情勢の悪化、11年連続で自殺者3万人以上、子どもの学力低下、年金不安、福祉の後退、何一つ良くなっていない。つまりは、政治家が嘘をついたということに他ならない。公約を守らなかったのだからバッジをはずして有権者に謝罪するべきだろうが、次の選挙になるとぬけぬけとさらなる「公約」を掲げる有り様だ。選挙演説では美辞麗句で自身の無能を隠し、「命がけでがんばる」などと言い出す。ずいぶん「命がけ」というフレーズを聞いてきたが、公約を守れずに死んだ政治家など聞いたことがない。言葉遊びで議席をもらっているだけなのだ。「公約を守る」という、当たり前のことをきちんとやっている政治家が少ないからこそ「余分な議席は削ってしまえ」ということになるのである。

 「誰がやっても同じ」というあきらめの言葉もすっかり定着した。地元選出の議員の名前さえ知らない有権者も多い。政治家の姿が見えないのは、彼らがまともな仕事をしていないからだ。あいさつ回りを主として、会合への出席や、イベントへの参加が主たる議員活動だと思っている政治家ばかりではないのだろうか。これでは政治が信頼を取り戻すことは困難である。政治家は、自身の公約を実現するためには何をすべきか、ということに任期中の全ての時間を費やすべきだし、有権者側も政治家のあるべき姿を見直すことが必要だろう。政治家が守らなければならないのは「議席」ではなく「公約」なのだ。

 本来、国民から最も尊敬されなければならないはずの「政治家」であるが、小学生でさえ政治家を白い目で見ている。「胡散臭い連中」程度の評価しかされていないのだ。たしかに、仕事はしない、約束は守らない、税金は食いつぶすでは話にならない。政治家の数が多いこと=税金のムダ使いという図式は、残念ながら正解である。だからこそ「定数削減」への賛同者が多いのであって、公約を死守し、国のために本当に命をかける政治家ばかりなら、定数削減を求めるの声などあがらなくなるだろう。
この国で最も変化が求められているのは、実は「政治家の質」である。
                                 頭山 隆

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