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特別取材

企業の社会貢献とNPOとの新しい関係づくりへ(1)
特別取材
2009年11月 6日 08:00

チェルノブイリ医療支援ネットワーク理事 寺嶋悠氏

 チェルノブイリ原発事故発生から23年が経った。NPO法人・チェルノブイリ医療支援ネットワークは、1990年の発足から19年間、支援を続けている。現在は被災地住民に対して、現地の医師と共同で甲状腺ガンの検診を行なっている。企業と連携し、有機無農薬のチェルノブイリ支援コーヒー・紅茶の販売やチャリティヘアサロンを開催するなど、新しい支援・協力の方法を提案している。同法人理事長・寺嶋悠氏に、活動の現状と企業とNGOのこれからのあり方についてお話をうかがった。全5回にわたって掲載する。

設立のきっかけ

 ――NPO立ち上げのきっかけについてお話してください。

 寺嶋 1986年に、今はウクライナ共和国にあたるチェルノブイリ原子力発電所の事故がありました。その当時はまだソビエト連邦の時代で、ゴルバチョフ書記長がグラスノスチ(情報公開)という方針を打ち出していたのですが、事故発生の情報が入り始めたのはスウェーデンで、大気中に異常な濃度の放射能が測定されてからです。その後、徐々に現地の情報が入ってきました。
 当時まだ始まったばかりのパソコン通信には、私たちが想像をしていた以上に現地の住民、特に子どもたちが被害を受けているという現地の状況が情報発信されていました。また世界中に対する支援要請がつづられていました。チェルノブイリの親子
 こうした現地からの情報を受けた有志の呼びかけによって、日本の各地で支援団体が生まれていきました。本NPOも90年6月に「チェルノブイリ支援運動・九州」として設立され、放射能の影響を受けた子どもたちを救おうと、粉ミルクや放射能測定器、簡単な医療器具などのさまざまな支援物資を送りました。当時は何よりも、「子どもたちを救え!」という熱い思いで動いていましたね。
 チェルノブイリ支援を始めた他の支援団体は、現地の子どもたちを保養のために日本に招待していました。しかし、遠い日本での保養は高い費用がかかることと僅かな人数しか受け入れられないこと、食事や気候も違うといった問題がありました。
 そこで、私たちはベラルーシのNPOと共同で、汚染地域に住む子どもたちが首都ミンスク郊外のクリーンな地域で保養させるための転地保養施設「サナトリウム・九州」の運営をすることから始めました。短い間ですが、被災地から離れたところで保養することで心身ともに元気になって戻るという取り組みです。92年から96年までおよそ2,700人近くの子どもたちが保養しました。

(つづく)

チェルノブイリ原子力発電事故
 1986年4月26日未明、旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起こった。チェルノブイリはウクライナ共和国北端とベラルーシ共和国との国境に近い町である。
 この事故により、大量の放射能が大気中へ放出。放射能は風に乗り世界中へ広がった。日本でも事故から数日後に、野菜や母乳から放射能が検出され大きな問題となった。
 最大の被災国となったベラルーシでは、国土の3分の1以上が放射能で汚染され、数十万人の人々が移住を余儀なくされた。事故から23年経つ今でも立ち入り禁止の地域が数多くあり、事故の悲惨さを今もなお伝えている。


<チェルノブイリ医療支援ネットワークへのお問い合わせ先>
〒811-3102 福岡県古賀市駅東2-6-26 パステル館203号
TEL/FAX:092-944-3841
Email:jimu@cher9.to
H P:http://www.cher9.to/


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