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特別取材

PB(プライベートブランド)がもたらした功罪(1)
特別取材
2009年11月17日 08:41

売場活性化の一方で、売上げ、利益は減少。
PBは流通不況の福音にはならない。

 深刻な消費不況で、小売業各社は積極的にPB(プライベートブランド)を導入している。2007年、イオン、セブン&アイ・ホールディングが揃って参入したことで、ブームに火がついたとの見方が支配的だが、以前にもPBは大手が市場に投入。
 その都度、話題になるものの、流通を大きく変えるまでに至らしめたのは、西友の無印良品くらいである。売上げはつくが、安定した収益には結びつかないPBの功罪について考える。

1. 日本のPBは意外にも古い

 PBとは、百貨店やスーパーなどの小売業者が独自に企画開発したオリジナル商品に対してつける商標のこと。その目的は製造元に対し100%買い取りの条件で商品価格を下げ、小売利益を確保できるような販売戦略をとるための商品ということになる。日本で初めてのPBは百貨店の紳士スーツだった
 では、日本のPBがいつ頃誕生したかというと、その歴史は意外にも古い。1959年に百貨店の大丸が紳士のPBスーツ「トロージャン」を発売。翌60年にスーパーのダイエーはPBの缶詰「ダイエーみかん」、次いで61年に「インスタントコーヒー」を市場に送り出した。これらが日本のPBのルーツと言える。
 スーツのトロージャンは爆発的な売上げをマークしたわけではないが、ダーバンなどのNB(ナショナルブランド)との比較販売できる商材として、現在も大丸各店で販売が続くロングセラー商品となっている。
 ダイエーの缶詰はハゴロモなどのNBとミックス陳列されたため、特別注目される商材にはなりえなかったが、インスタントコーヒーはエンド展開(棚の短端で大通路に面する場所)が主流だったこと、またアルミパックを使用して防湿性に優れていたことで、飛ぶように売れたと言われている。一応、PBの使命は果たしたということだ。

◎安売りできないNBの補完的商材

 当時、大丸は百貨店として高級品をメーンで売るのが本流だったが、ダイエーは「価格破壊」という流通革命を標榜し、それがメーカーの反発を買ったため、補完的な対策として割安感やお得感のあるPBを売り出したと見た方がいいだろう。
 そのため、米国のディスカウントストアのように最初から商品価格を安くし、逆に利益は確保するという仕組みのPBにまでは、踏み込んでいなかったようである。
 一方の消費者も今ほど価格に敏感ではなかった。高度成長の時代で、収入は右肩上がりだったからだ。ただ、これ以降はPBの存在理由も各社によって大きく変わっていった。
 64年、ダイエーはテレビの値引き販売をめぐって松下電器産業との法廷闘争に入るが、これが意外に長引いたため、この対策として70年には「BUBU(ブブ)」という13型カラーテレビをPBで売り出し、話題を集めた。
 その後、食品の「キャプテンクック」や家電・生活雑貨などの「コルティナ」を発売。キャプテンクックは全店、コルティナはGMS(総合スーパー)を中心に投入されたが、コアなファンを獲得するまでには、至らなかった。
 PBが浸透しなかった最大の理由は、当時の消費者には「高くても、安心できるブランド品を買いたい」という願望の方が圧倒的に強かったからである。

(つづく)

【剱 英雄】


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