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日本郵政陰の実力者・坂篤郎(下)
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2010年5月12日 08:00

 坂は、東京・本郷で旅館業を営む家に生まれた。旅館廃業後の実家は東京の四谷や白山、西片などに持つ不動産を賃貸に回し、不動産管理会社「栄和」を創業。兄の征郎が家業を継いでいる。麻布中・高、東大法学部、大蔵省と進んだ坂は、裕福な家の出のせいか、大蔵官僚には珍しいシティボーイだった。大蔵官僚時代はホンダのスポーツカーNSXで出勤し、高価なワインをたしなむ粋人でもある。兄の征郎が高滝リンクスというゴルフ場運営会社を営んできたせいか、ゴルフの腕前もなかなかだ。

 順風満帆な坂にとって唯一の挫折が、竹中平蔵との対立だった。竹中が小泉政権の経済財政担当相の時代に、坂は内閣府の政策統括官、審議官として竹中に仕えている。竹中が霞が関の害悪は財務省支配にある点を見抜き、自身が切り盛りする経済財政諮問会議を舞台に財務省の影響力を削いでいったことは良く知られているが、これに徹底的に抵抗したのが、親元の財務省の意向に従順な坂だった。竹中はそんな坂を敬遠し、やがて農林漁業金融公庫の副総裁に放逐した。

 いったん追放された坂を拾い上げたのが、小泉の首相秘書官だった飯島勲だった。竹中が小泉の寵愛を受けることへの嫉妬心と竹中の力を抑制したいという思惑があったのだろう。坂は内閣審議官という下位のポストで竹中たちに知られることなく官邸に入り込み、雌伏した後、官房副長官補という要職を射止めた。

 竹中への怨恨の情をもつ坂が、竹中が尽力した郵政改革をつぶしたいと考えるのは当然だろう。昨年10月28日に日本郵政の副社長につくと同時に竹中色の濃い役員たちは続々郵政から追放されていった。郵便事業会社の社外取締役だった東洋大の松原聡教授もそのひとりだ。松原は「坂さんから取締役をおやめ下さい、と言われました」と坂の関与を打ち明け、同11月20日に辞任している。元大蔵事務次官の斎藤次郎ばかりに注目が集るが、郵政を仕切っているのは、実は人事と企画を所管している坂である。日本郵政内にいた竹中系の幹部職員たちは「次は自分のクビが切られるのではないか」と戦々恐々し、坂への忠誠を誓わざるを得なく追い込まれている。

 政府はこの4月30日、郵政改革関連法案を閣議決定し、早ければ6月の成立と来年10月の施行を目指している。小泉政権時代に進んだ民営化路線を大きく転換し、「国営郵政」に逆戻りする。持ち株会社の日本郵政に傘下の郵便事業会社と郵便局会社を統合させて現在の5社体制を3社に再編し、政府が株式の3分の1の保有を維持する。ゆうちょ銀行とかんぽ生命の金融2社は現行形態を維持するが、郵便貯金の預け入れ限度額を1,000万円から2,000万円に、簡易保険の保険金上限額を1,300万円から2,500万円にそれぞれ引き上げる方針も法案成立時に別途、政令で定めることにした。

 かつて東洋大の松原を座長にした「郵政事業の関連法人の整理・見直しに関する委員会」は、ファミリー企業219法人との取引を見直す方針を打ち出していたが、日本郵政の佐々木英治専務執行役は5月7日の記者会見で、そのうちの99法人に対しては「何らの措置もしない」と表明。約30法人からは天下りOBの退任を求めることにしたが、「競争入札だと品質に支障をきたすおそれがある」と、ファミリー企業による独占的な受注を今後も容認していくことを明らかにした。かくして竹中登場以前に急速に時計の針は戻っていくのである。

(了)

【箱山 信一郎】


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