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武雄から世界へ、ベンチャー市長の挑戦(5・終)~霞が関の逆を行く
行政
2010年6月18日 10:18

<楼門朝市>

 少し前まで佐賀県武雄市は武雄温泉、武雄競輪ほどの知名度しかなかった。しかし、2006年、元総務官僚の樋渡啓祐市長(40)が就任するや、次々と斬新なアイデアを繰り出し、一躍、全国から注目される自治体となった。

武雄楼門 武雄温泉のシンボルは国重要文化財の武雄楼門である。樋渡市長は07年4月、『楼門朝市』をスタートさせた。最初はわずか4店舗でお客は20人足らず。「その半数はうちの親戚か友達でした」と市長は振り返る。
 それから3年経った現在、朝市は毎週日曜の朝7時30分から始まる。店舗数は30以上に増え、お客は数百人。記念イベントなどがあった日は温泉客も加わり、1,000人以上が、農作物や新鮮な海の幸を楽しんでいる。

<5万2,000人の住民に密着した行政>

 武雄市に生まれた樋渡市長は、武雄高校時代「引きこもりだった」という。ある日、車椅子マラソンや棚田ウォーキングを成功させた隣町の町長の講演を聴いて感激した。「いつか市長になろう」と密かに思い続けていたという。
 総務省官僚となったのも、行政手腕を本格的に身につけるためだった。沖縄・与那国勤務時代は先島を回り、今問題となっている普天間、辺野古にも足を運んだ。そして36歳で合併後初の武雄市長となった。
「私は、協調性がないし、集団行動も出来ません。よく12年間もサラリーマン生活が続けられたと思います」(樋渡市長)。

 スタッフには、佐賀県庁や総務省出身の人材を中途採用で集めている。10年前なら中央官庁を辞めて、地方自治体の仕事をする公務員など考えられなかった。
 「私ひとりでは限界があります。優秀な副市長が仕事をこなしてくれるおかげで私は動き回れます」(樋渡市長)。
 霞ヶ関流の施策は熟知している。地方ではその逆の発想をすればいい。普通の市長のイメージが「銀行の支店長」なら樋渡市長は「野戦軍の司令官」と自負する。人口5万~10万人の自治体だからこそ可能な行政もある。職員400人の武雄市役所は、市における最大企業。市民100人あたり1人が職員の割合であり、住民の要望にも敏感に反応できる。

 「市長は本当に面白い仕事です。『武雄市民ってスゴイね』と言われるまで私と一緒に仕事をしたら、スタッフ(市職員)も国や郷里の仕事に戻ればいいと考えています。そのときは推薦状を書きますよ」(樋渡市長)。武雄市役所は、生きた行政を勉強する場となっているのだ。

 評価が高ければ高いほど、長期政権化する首長は多い。そこで、樋渡市長にいつまで武雄市長を続けたいかを質問した。「妻からよく『あなたが1%でも自分のことを考えるようになったら市長を辞める時』と言われていますが、その通りです」との答えだった。ベンチャー市長・樋渡啓祐氏の飽くなき挑戦は、まだまだ続いていきそうだ。

(了)

【関戸 幸治】

<プロフィール>
樋渡啓祐・武雄市長樋渡啓祐(ひわたし けいすけ)
1969年(昭和44年)11月18日、佐賀県武雄市朝日町生まれ、40歳。武雄中-武雄高-東京大学経済学部卒。94年、総務庁(現、総務省)入局、官房長官官房総務課などを経て、05年、総務省大臣官房秘書課課長補佐で退職。06年、合併後の新・武雄市における初代市長に当選。08年、市民病院の公設民営化に伴い辞職するも再選を果した。


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