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脱原発・新エネルギー

「電力の鬼」松永安左エ門の瞳に今の電力体制はどう映っているか(1)
脱原発・新エネルギー
2011年9月 5日 07:00

 現在、発電に関する新エネルギーについての議論が盛り上がっている。ではそもそも、現在の電力体制はどのような歴史を辿ってきたのだろうか。ここでは、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門(まつなが・やすざえもん、以下松永)の生い立ちから電力事業への関わりまでを見ることで、改めて電力体制のあり方について再考する材料としたい。なお、今回の取材にあたって、「壱岐松永記念館」管理人の定村隆久氏に、事実関係の確認や画像使用などの件でご協力いただいた。以下、定村氏の言葉を交えながら、松永の人物像と電力会社の歴史に迫ってみよう。

<福澤桃介との出会い>

「電力の鬼」松永安左エ門と盟友となる福澤桃介. 松永は、1875(明治8)年12月1日、長崎県壱岐郡石田村で2代目松永安左エ門の長男として生まれた。幼名は亀之助。生家は、呉服・雑貨販売、酒・焼酎・酢醸造、椿油製造、鰯網捕鯨網元、船舶運送、貸金など多くの事業を営み、田地も所有する大事業家だった。祖父の初代松永安左エ門は、裸一貫から一代で事業基盤を築き上げた人物で、松永(亀之助)は幼いながらも祖父の背中から実業家としての心構えを学んだ。

 第十七高等小学校時代、福澤諭吉の『学問のすすめ』に感激した松永は東京行きを望んだが、後継者に家を出られると困ると考えた父は反対。ストライキに出た松永は、心配した母親の取り持ちもあってようやく東京に出ることが許されたという。
 1889(明治22)年、念願の慶応義塾に入って学問に励んだ松永は、福澤諭吉の馨咳に接することができた。「散歩党」を結成していた福澤諭吉は、早朝から6㎞の道のりを散歩することを欠かさなかった。そこに塾生や卒業生が加わり、松永もそこでさまざまな人物と交流を深めた。のちの盟友となる福澤桃介(ふくざわ・ももすけ、旧姓・岩崎、福澤諭吉の娘婿、以下福澤)と知り合ったのもこのときだ。

 福澤は1868(明治元)年6月25日生まれで、日清紡績、矢作水力(現・東亞合成)、大同電力(現・関西電力)、東邦電力(現・中部電力)、東邦瓦斯、大同特殊鋼などを次々に設立。数々の企業経営に携わって福澤財閥を形成し、「日本の電力王」と言われるほどになった人物である。片やのちに「電力の鬼」と呼ばれることになる松永と、この福澤の2人の出会いが、今日の電力供給の大きな礎を築くきっかけとなったと言っても過言ではない。

 慶應義塾で学んでいる最中の1893(明治26)年、父親(2代目)が急逝。松永はただちに壱岐へ帰り、家督を継いで「三代目松永安左エ門」を襲名した。17歳のときであった。

(つづく)

【大根田 康介】

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