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資生堂の中国戦略(前)~日本的「おもてなしの心」でトップブランドへ
特別取材
2012年2月29日 12:00

 資生堂が中国に進出したのは1981年にさかのぼる。日本のよさ、オリジナリティを大切にして、今、中国市場で高級ブランドとして中国女性に受け入れられている。
 資生堂はいかにして、現在のようなブランド力を獲得するに至ったのか。中国での成長戦略を見ていく。

<中国に根づいたブランド>
 1月下旬、中国の春節―。東京・銀座の資生堂直営店「ザ・ギンザ」のフロアは、今年も多くの中国人観光客でにぎわっていた。
かつて日本人が、パリやローマにブランドの鞄を買いに行ったように、資生堂の化粧品は高級な土産として中国人の間で根強い人気を誇っている。春節で日本を旅行する中国人にとって、銀座で資生堂の化粧品を買い、秋葉原で電化製品を買うのが定番のコースとなっている。

 中国よりも安価で買えるという理由もあるが、日本製であることに対する安心感に加え、「銀座で資生堂の化粧品を買った」ということ自体が、「新幹線に乗った」ことなどと同様、日本を旅したステータスになっている。
 中国現地での販売も伸びている。資生堂の中国市場をターゲットにしたブランド戦略は、30年の間に渡り、熟成されて成し遂げられた。

<進出開始は1981年>
sora_5.jpg アメリカにはP&G、ヨーロッパにはロレアル。化粧品業界には、大手2強が存在する。資生堂が中国を魅力的な市場と見始めていた1980年当時、アジアには、欧米2強ほどの大手はまだ不在だった。
 「資生堂」という名前は、中国の易経の一節「至哉坤元万物資生」(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる)から取っており、創業時から、中国との縁はあった。将来、市場が拡大すると見込んだ資生堂は、アジアでのグローバルプレーヤーの地位を狙って、81年、社名由来の地である中国に出店した。

 中国では78年に「改革開放」が提唱され、本格的にその路線が加速しはじめるのは、92年である。そのことを考えると、81年の時点で、中国進出を果たした先見の明は、勇断と言っていいだろう。
 資生堂は、中国でのデパートの先駆けであった友誼商店や有名ホテルの北京飯店などに出店。83年に北京市の要請で、技術提携を行ない、シャンプー、リンスなどの生産協力をスタートした。約10年に渡り、生産技術での協力を行ない、北京市と深い信頼関係を結ぶに至る。

 進出後、じっくりと布石を打ち、北京市を中心に、中国人富裕層の人気を集めた。91年に、北京市との合弁会社「資生堂麗源化粧品有限公司」を設立したのを足がかりにマーケットで、「高品質」「安心・安全」というブランド認知をつかんでいった。

(つづく)
【岩下 昌弘】

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