2011年3月11日。その日起きた東日本大震災と、東京電力・福島第1原発事故は、数多くの犠牲者を出し、非常に痛ましい傷跡となりました。現在でも、34万人もの人々が仮設住宅での不自由な生活を強いられているだけでなく、原発の廃炉問題に加え、除染などの問題が山積し、復興への道のりは依然険しいものになっています。この国に信頼に足るリーダーがいない証拠ではないかと思われます。
日本には、これまでにも"大震災"と名付けられる国難がありました。1923年の関東大震災。そして、95年の阪神・淡路大震災などです。いずれの震災も、数多くの犠牲者を出しましたが、その後の復興により、かつての姿よりも、大きく、強く、蘇ったと言えるでしょう。
しかし、福島原発の事故においては、そう簡単ではないのは既にご存知の通りです。
話は変わりますが、電力会社はこれまで、大手民間企業と変わらぬほどの広告費を使ってきました。元来、電力会社というものは地域独占企業なので、宣伝をする必要がありません。それにも関わらず、市民が支払った電気料金から、巨額の広告費用を捻出してきたのです。しかし、このような単純なことに多くの市民は疑問を持ちませんでした。この平和ボケした感覚こそが、3.11前の日本国民だったと言えます。
そして、批判することや疑問を投げかけること、そういった本来の使命を忘れたメディア。多くの人が、受動的に目にするテレビなどの大手メディアは、現在でも電力会社にとって都合の良い情報を平然と流しているあり様です。
ここ福岡でも、1年目の3月11日に、脱原発の集会が開かれました。集会やデモは、ただの市民運動です。なのに、警棒を伸ばした警察官が、市民を監視しています。このような状況でも、日本は、本当に文化的な国であると言えるのでしょうか。
原発事故より前に、少数の人々が声を上げ、喉を枯らすまで叫び続けた「脱原発」のメッセージは、ついに届くことはなく、あの過酷事故が起きてしまいました。「第2のフクシマ」は、絶対に避けなければなりません。
しかし、「第2のフクシマ」とは、必ずしも「ほかの原子力発電所による事故」という意味ではありません。3.11で不幸にも人生の終焉を迎えてしまった人、3.11で人生が変わってしまった人、そして、3.11で人生が変わってしまったにも関わらず、未だそれに気付かないフリをしている人がいます。生き残った人間は、目を覚まさなければなりません。あの事故で人生が変わらなかった日本人など1人もいないのです。だからこそ、国民は、新聞が伝えていること、テレビが伝えていること、政府が発表すること、それらを鵜呑みにすることなく、自立しなければならない責務を課せられています。
もし、あなたが、原発は必要だとおっしゃるなら、その理由をあなたの言葉で聞かせていただきたいものです。あなたが脱原発を訴えるなら、同じくあなたの言葉で聞かせてください。積極的な議論をしましょう!!賢い市民になること、自立した市民になること、それがこの国の真の復興と発展に繋がるのは間違いありません。犠牲を無駄にしないためにも、ここで変わるべきなのです。
目覚めよ、日本!
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