韓国の教育熱は、教育を受けている張本人の熱意というよりも、教育の結果を期待している両親の熱意と言った方が正しいだろう。韓国も日本と同じように資源などに恵まれている国ではないので、人材の教育こそが競争力の源泉にならざるを得ない。
韓国の教育熱の歴史的な背景としては、まず中国の唐から取り入れた制度である科挙があるだろう。身分の低い人であっても、学問さえ身につけていれば官吏として採用され、出世の道が開いたからである。今でもそのような伝統を引き継いだせいなのか、韓国では社会の選抜の基準が教育に依存しており、それが教育熱の助成に一助している。
現在の教育熱のルーツを探ってみると、次のようになる。韓国戦争が終わってその傷跡が癒されつつあったとき、皆が切実に感じたのは、教育だけが生き残る道であるという認識だった。すなわち、現在の教育熱に決定的に寄与した世代は、第一次ベビーブーマーである。この世代が小学校に通っていた時期の就学率は、86%に達していた。
その後、第一次ベビーブーマーの先頭が小学校を卒業して中学校に進学しようとしたときに、問題が発生する。限られている中学校の数に比べて、中学校の進学希望者が多すぎて、入試競争が始まったわけである。中学校に進学するために小学校5、6年生が「課外」(放課後の塾通いと個人レッスン)をはじめ、受験戦争がスタートしたのである。
韓国政府はこの問題を解決するため、1969年度に中学校無試験制度を導入する。しかし、この世代が中学校を卒業して高校に進学しようとすると、また受験戦争と「課外」熱風が巻き起こるのである。ソウルと釜山の一流高校に志願するために、他の地方から集まってきた留学生だけでも1万5,000人に上るほどであった。
この問題を解決するために、韓国政府が打ち出した政策は「高校平準化政策」である。この制度に対し、一部の私立学校では平準化の解除を求めたりしたが、政府は頑としてこの政策を維持するだけでなく、1980年7月に全斗換元大統領は「課外」全面禁止政策を取るようになる。
韓国の教育熱のプラス効果としては、韓国経済発展への寄与が挙げられるだろうし、否定的な効果としては、教育が身分上昇の手段に転落した点があるだろう。
(つづく)
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