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企業生命は人の営為で決する 再生への意志が早期再建を導く(2) 城山観光(株) | 企業再生シリーズ
特別取材
2008年4月 7日 09:54

諸刃の剣の事業多角化

 同社は、1948年5月に保直次氏が鹿児島市天文館で氷菓子の製造・販売を創業したのが始まり。61年3月に資本金9,000万円で法人化され、62年に遊園地の「城山遊楽園」、63年には「城山観光ホテル」を開業した。「地元では城山は神秘的な場所とされており、しかも神社の上にホテルを建設するとは何事かという反発も当初はあり、地元の人は良い気はしていなかった。しかし今では、城山あっての鹿児島というまでになっている」とある地元の人は語る。

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 その後は福岡県に進出。69年に福岡市博多区中洲の博多日活会館を買収・改装して、70年に城山観光ホテルを開業。84年には「玄海彫刻の岬・恋の浦」をオープンした。90年には城山実業(株)を合併、94年に「入来城山ゴルフ場」をオープンし、97年には日本プレイセンター(株)を合併するなど業容は拡大の一途を辿った。

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 この間、パチンコ事業「森永娯楽センター」を立ち上げて、80年代から県内外で立て続けに出店し、一時は約40店舗にまで拡大した。創業者・保直次氏は、のちに1代で城山ブランドを確立して1,000億円企業にまで成長させた、立志伝中の人物となった。

 98年に、2代目社長の保太生氏が就任以降、矢継ぎ早にリストラクチャリング(事業再構築)を進めた。まず、2000年に66億円の巨費を投じて城山観光ホテルを全面リニューアルした。客室502室を365室にし、地下約1,000mの温泉を掘って天然温泉・露天風呂「さつま乃湯」を新設した。また、従業員も約1,500名から1,000名規模にまで削減し、福岡事業として長年運営をしてきた「城山スポーツパレス」も「薬院しろやま乃湯」へと転換した。
 
 同社の歴史から、没落と再生のそれぞれの要因を見出すことができる。没落の要因はもちろん、事業の多角化である。とくに福岡進出が大きな負担となり、「薬院しろやま乃湯が足を引っ張った」(地元関係者)と言われている。バブル崩壊後も設備投資の原資調達のため、多額の借入金を抱えたことで負の遺産を抱えてしまった。
 
 しかし一方で、この時点で再生への素地が作られていたことも見落としてはならない。それはホテルの全面改装である。たしかに投じた費用は大きかったが、たとえば客室を減らしたことで自ずと稼動率が向上し、より効率的な運営が行なえるようになった。以前は50%だったと見られる稼働率が、現在では70%と回復傾向である。また客室を広くし、ターゲットを宴会中心の団体客から個人客へと転換していったことも時宜に適っていたと言えよう。

 さらに、ホテルの目玉でもある露天風呂「さつま乃湯」もこのとき完成している。この風呂からの最高の絶景を味わうため、わざわざ関東から来る客も後を絶たないほどである。

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 結果的には設備投資により負の遺産を背負ってしまったが、それもすべてが負であったとも言い切れない側面があったのである。

つづく


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