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東京レポート

創業者の死が招いた経営混乱 テクモ経営統合の舞台裏(上)
東京レポート
2009年2月 9日 13:19

 創業者の死―。企業には、最大のリスク要因になる。創業者の死によって、経営が混乱。挙げ句に、買収されることになった中堅企業がある。東証1部上場のゲームソフト中堅のテクモ(東京・千代田区、阪口一芳社長)だ。東証1部上場のゲームソフト中堅のコーエー(横浜市港北区、松原健二社長)と4月1日付けで共同持ち株会社を設立し経営統合する。

続出するトラブル

 2006年7月18日。テクモ創業者で会長の柿原彬人氏(かきはら・よしひと)が間質性肺炎のために死去した。享年67。
 柿原氏は福岡県出身。久留米市の県立明善高校を卒業し、中央大学経済学部に進学。卒業後、大和証券に入社。5年後に脱サラ。1967年7月、日本ヨット(現テクモ)を設立、ヨットなど船の管理などを始めた。やがてビル管理、アミューズメント施設運営などを手がける。86年に初めて自社開発の家庭用ゲームソフト「マイティボンジャック」を発売。店頭登録、東証2部を経て、東証1部に上場した2001年会長に就任した。
 柿原氏が死の直前の06年1月に社長に招いたのが、みずほコーポレート銀行出身の安田善己氏(50)。旧・日本興業銀行時代には大蔵省担当(MOF担)のエリートコースを歩み、企業買収のアドバイザーを務めた。
 安田社長時代に、数々のトラブルに見舞われる。それこそトラブルの天こ盛りだ。
 06年9月、元女性社員がセクハラを受けたとしてテクモと執行役員を相手取り1,000万円の損害賠償請求訴訟を起こした。30代の執行役員は、人気ゲーム「デッド・オア・アライブ」の開発責任者。格闘中の美女の胸がリアルに揺れる「乳揺れ」で人気になった格闘ゲーム。訴えた元女性社員は、業界内では美人広報担当として知られていた。
 裁判では、地裁、高裁とも女性が敗訴。損害賠償を認めなかったが、判決は「職場において社会通念上容認し難い行為が繰り返し行われていた」と認定。これを受けて、テクモは執行役員を降格処分にした。

乗っ取りを仕掛けられる

 セクハラ訴訟を皮切りにトラブルが相次ぐ。07年2月、前社長の中村純司氏(57)が退職慰労金1億6,990万円の請求を求めて提訴。1年後に両者は和解した。
 08年5月、セクハラ訴訟の被告だった元執行役員が、未払い報酬と慰謝料、1億4,800万円を求めて提訴した。ゲームソフト「デッド・オア・アライブ4」の成功報酬を支払うと合意していながら会社が支払いを拒否、安田社長が評価を不当に貶める発言をしたというのが理由。現在、公判中だ。
 さらに08年6月には労働組合の役員から未払い残業代を求めて提訴されるなどトラブルが続出。一連の訴訟で心身疲労。08年8月31日に安田氏は社長を辞任した。
 社長を兼務したのは会長の柿原康晴氏(38)。創業者の次男。本職は外科医。創業者の死後、会長席は空席だったが、07年に創業家代表として会長に就いたばかりだ。
 経営にズブの素人である外科医が会長と社長を兼任するハメになり、テクモは創業以来、最大の危機に陥った。
 経営の混乱はM&A(合併・買収)の絶好のチャンスだ。8月29日、ゲームソフト業界2位のスクウェア・エニックス(現スクウェア・エニックス・ホールディングス、和田洋一社長)がテクモ株のTOB(株式公開買い付け)を発表。買い付け価格は1株当たり920円。
 ゲームソフト大手に乗っ取られることを恐れたテクモがホワイトナイトを頼んだのがコーエーだった。創業者同士の親交があったからだ。テクモの07年12月期の売上高は120億円。「信長の野望」など歴史を題材にしたシミュレーションゲームが主力であるコーエーの08年3月期の売上高は291億円。
 スク・エニとコーエーによるテクモ争奪戦に発展した。08年11月18日、テクモはコーエーと統合契約書を締結。09年4月1日付で共同持ち株会社コーエーテクモホールディングスを設立すると発表した。テクモ1株に持ち株会社株0.9株、コーエー株1株に持ち株会社株1株を割り当てる。持ち株会社会長には柿原康晴テクモ会長が、社長には松原健二コーエー社長が就くという内容。
 しかし、テクモの経営混乱はこれにて一件落着とはいかなかった。あの村上ファンドの残党が参戦してきたためだ。

【日下淳】

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