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今、歴史から元気をもらおう

【連載】 今、歴史から元気をもらおう(35)~アヘン戦争勃発
今、歴史から元気をもらおう
2010年6月 1日 10:51

 18世紀の中ごろ、イギリスは清国から茶・絹・陶磁器などを輸入して代金を銀で支払っていた。清との貿易をほぼ独占していたイギリスだったが、交易は一方的だったのでイギリスは慢性的な輸入超過となり大量の銀が流出していた。イギリスは、こうした状況を打破するための方策として清国内におけるアヘン吸飲の習慣に目をつけた。当時イギリスの支配下にあったインドで栽培したアヘンを清国に密輸すると同時に、インドから輸入した綿花に対しては高価な絹織物を売りつけ貿易収支を黒字化するという歴史上悪名高い三角貿易を考え出したのである。イギリスは大量のアヘンを清に売り込んだので、清の貿易収支は大幅な赤字に転じ大量の銀がイギリスに逆流していった。
 アヘンを火であぶって吸飲する方法が広く行われるようになると、またたく間に清国内にアヘンがまん延し、庶民はおろか帝国の兵士までもがアヘン禍に犯されていった。アヘンは経済問題だけにとどまらず、国防問題にまで大きな影響をあたえる国禍として重くのしかかってきた。ときの清朝の道光帝はアヘン対策について大臣たちに広く対策を求めた。このとき清朝政府には、まだアヘン「容認論」をとなえる大臣がいた。「アヘンは禁止すると密輸がふえる。むしろ解禁して税金をかけたらどうか」というのである。この暴論には朝臣のあいだから即座に反論が出た。「アヘンのまん延を防げないのは、取締りが手ぬるいからである。さらに取締りを厳しくし、とくに役人や兵士は厳しく処断すべきである」という「禁止論」が主流を占めることになった。
 道光帝の心をとらえたのは湖広総督の林則除が上奏した「厳禁論」である。彼の上奏文には「今、アヘン煙を禁絶しなければ、国日に貧しく、民日に弱く、軍費がなくなるだけでなく、十余年の後には用いるべき兵すらいなくなるであろう」と警告し、アヘン煙を根絶するために「煙具を没収すること、アヘン関連業者の罪名を加重すること、官側の取締責任を加重すること」などの具体的な提議を行なった。おりしも皇族や貴族数人によるアヘン吸飲事件が発覚していたことにも衝撃を受けていた道光帝は、林則除をアヘン対策担当の欽差大臣(特命大臣)に任命しアヘン厳禁政策に踏み切った。
 林則除が欽差大臣として広東の首都・広州に到着したのは1839年3月10日である。当時中国との貿易を行える都市は広州だけだった。当然アヘンの密輸もここに集中している。林則除は着任当初から精力的に動いた。「広州の煙館を閉鎖して、阿片密売業者二千二百人を摘発したほか、阿片70万両、喫煙用のキセル7万5千本を没収し、賄賂を受取っていた地方官僚らを逮捕した。外国人貿易商に対しても厳しく阿片密輸禁止条例を通告した。(TAN Romi著 阿片の中国史 新潮新書)」 彼が制定したアヘン取締条例は、外国人貿易商に対して「手持ちのアヘンの数量を報告の上、を3日以内にすべてのアヘンを差し出すこと」を命じていた。
 これに強く反撥したのが、イギリスの商務監督として赴任していたチャールズ・エリオット海軍大佐である。エリオットは多少のアヘンを供出して新任者の鉾先をかわし、これまでどおりの密輸を行おうと考えた。これまでの役人なら賄賂をつかませさえすれば意のままになっていた。しかし、林則除は誇り高き漢族の出である。しかも強く国の将来を憂慮していた。どんな甘い誘惑にも乗るはずがない。あらかじめ沖合いの密輸船の在庫量を調査していた林則除は厳然として差額分の提出を求めた。隠ぺい工作が失敗したとみて武力による強硬手段に訴えようとしたエリオットに対し、林則除は密輸船を残らず捕獲するとともに港内のすべての貨物船を拘束し貿易業務を完全に封鎖するという非常手段に出た。根負けしたエリオットは、ついに残りのアヘンを残らず差し出すことを受け入れた。
 1839年6月、広州から50キロほど離れた虎門海岸で、外国商人から押収した2万箱以上のアヘンが廃棄処分された。林則除はこの処分作業を多くの人に誇示して政府の断固たる意思を示そうと考えた。大勢の人が砂丘や丘の上に集まった。アヘン売買にたずさわらなかった外国人も招待された。処分作業は沖行く商船からも見ることができた。波打ち際に掘られた大きな二つの穴には塩水が張られ、次々と放り込まれるアヘンの上から石灰が放り込まれた。もうもうと立ち上がる白煙がおさまると、海側の仕切りが外され黒いアヘン溶水は勢いよく海中に流れ出していった。見物していた群集の中からいっせいに歓声があがった。処分作業が完全に終わるまでに3週間の日時を要した。
 「こうなったからには武力衝突は避けられない」と覚悟した林則除は、外国人貿易商に圧力をくわえるとともに、兵団を編成し各地の海防を強化して來敵に備えた。一方、しびれを切らしたエリオットは、水師(清国海軍)に攻撃を加えるが惨敗する。その後いくつかの海戦が行なわれるが、いずれもイギリス側が敗退した。本格的なアヘン戦争が始まる前のささやかな中国側の勝利だった。1840年4月、イギリス下院では清国遠征軍の戦費支出が可決された。戦艦16隻、輸送船、武装汽船等32隻からなる大艦隊が東上して広州に攻撃を仕掛けたのは同じ年の6月のことだった。

小宮 徹/公認会計士
(株)オリオン会計社 http://www.orionnet.jp/


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