<長期的戦略で奏功>
カジノ構想が立ち上がったのは、1985年。治安悪化の不安などから当初、反対意見も多く、何度か挫折を味わったが、2005年に、議会がカジノ解禁を決定。06年2月に内閣が承認し、カジノ管理法案が国会を通過した。
米系のラスベガス・サンズ、マレーシア系のゲンティン・シンガポールが営業権を取得し、2010年、まずユニバーサルスタジオシンガポールと併設したリゾート・ワールド・セントーサがオープンし、続いて、マリーナ・ベイ・サンズが続いた。
外国人に対してはカジノ入場無料となっているが、地元シンガポール人には、100シンガポールドル(約6,500円)を徴収するなど、観光客向けの仕様。事前の徹底したリサーチが功を奏し、治安悪化の兆しはまったくないという。
カジノを含む観光政策の成功には、中長期的なビジョンを明確に描き、国を挙げて振興策を打ってきた政治リーダーの優秀さと、観光企画の目新しさ、中国、マレーシアなど周辺国を巻き込んでの大規模な取り組みが背景にある。
<計画に基づく都市づくり>
「ツアリズム・イズ・エブリワンズビジネス(観光業はみんなの仕事)」「シティ・イン・ガーデン(ガーデンの中に息づく都市)」などのスローガンのもと、計画に基づく都市づくりを行ってきた。カジノの成功に満足するのではなく、今後のプロジェクトも目白押し。
MBSの周辺に大規模な植物園を作るプロジェクト「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」が、今年前期には開園予定。シンガポール動物園では、「ナイトサファリ」と合わせて、川をテーマとしたアジア初の試み「リバーサファリ」(動植物をボートの上から観察できるサファリ)を計画するなど、観光都市として、続々と企画を立案、実現の方向へ進んでいる。
多民族国家で、英語、中国語、マレー語、タミール語と、4つの公用語が飛び交うシンガポール。国土が狭く、資源が少ないがゆえに、戦略と知恵でグローバル社会を勝ってきた。
日本の観光産業がヒントにできるところも少なくない。日本の国土面積は、シンガポールの約611倍。単純に考えると、開発できる観光資源は、シンガポールよりも多いはず。国、自治体のリーダーたちの優れたリーダーシップと、企画立案、実行力に期待したい。
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