政府はエネルギーを考えるための選択肢を提示している。この選択肢を提示する前に哲学の選択をさせるべきと思うのだが、すでに拙稿で述べたので割愛させていただく。さて、選択肢はそれぞれ原発依存度に合わせてゼロシナリオ、15シナリオ、20~25シナリオの3つだ。それぞれ、現在考えられるコストをもとに消費者への影響やGDPの変化などの経済的な試算と電源別の二酸化炭素発生量の変化の試算がなされている。
ここにきて二酸化炭素に言及するとは恐れ入る。二酸化炭素の発生を抑制しつつ、電源のバランスを考えると、どうしても火力発電は減らさねばならないと考え至るだろう。すると活用されるべきは再生可能エネルギーとなる。ところが再生可能エネルギーはコストが高い。この前提をもとにした数字を列挙すれば、いかにもゼロシナリオが生活を圧迫するように写ってしまう。あるいは「原発は必要だ」と考え直す人も現れるかも知れない。しかし、よく考えてみてほしい。二酸化炭素を減らすために原発のリスクを被るのか。死の灰を蓄え続けるのか。これが本当にフェアな選択肢なのか。それをまず疑ってみてほしい。
国家戦略室に問い合わせたところ、この二酸化炭素削減については「将来的に必要だろう」ということでまとめられたという。25%削減を国際的に約束した鳩山由紀夫元首相の発言とはまったく関係ないもので、専門家の方々が積み上げていった結果、偶然にもゼロシナリオで23%、それ以外のシナリオで25%という、内容は違うもののきわめて似たような数字が計上されたのだと言う。それを根拠に電源の割合を算出したのではない、とのことだ。にわかに信じがたいが、そういうことらしい。
低炭素社会というか、低炭素世界が実現されれば、あるいは地球の温暖化は減速できるかも知れない。けれども、3.11で事態は劇的に変化している。京都議定書にせよ、鳩山元首相の低炭素社会実現の約束にせよ、その裏付けとしてあったのは『原子力安全神話』である。その神話が崩れているのだから、それを拠り所とした論はすべて崩れたと判断すべきではないか。国際的な約束だから守るのは当然、そして、それを破るようなことがあれば国としての信用にかかわる、という言説には確かに理がある。けれども、これだけの大惨事で世界中に迷惑をかけておきながら、そこから何も学ばないような将来戦略はとってほしくないと思う。
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