<エネルギーシフト実現への自負>
「どこの政党もまともな原発ゼロ、廃炉へのプログラムを出していない。逆戻りさせてはいけない」と、日本未来の党・飯田代表代行は、原発ゼロ実現と、そこからのエネルギー改革、さらに一歩前進させた地域経済活性化を訴えた。論客から実務家、政治家へと転身し、自らが描く自然エネルギーへのシフトの未来図を、前へ進めることを目指して立ち上がった。
だが、国民の多くは、未来の党が掲げた「卒原発」「増税NO」よりも、自民党による「増税OK」での「経済再生」を支持した。未来の党には厳しい審判が下ったが、飯田氏の思いは折れていない。
2011年の3・11以降、飯田氏の周辺は大きく動いた。「もしも...」はありえないことだが、もしも、あの福島第一原発事故がなかったら、この男の人生は、平穏にNPO環境エネルギー政策研究所の所長として、エネルギー政策について研究し、政策を提言する職を続けていたのではないか。
しかし、現実には事故は起こった。時代の要請なのか、脱原発のうねりに突き動かされた。7月、地方からのエネルギー維新を掲げて、山口県知事選に出馬。「99%は出ない方がいいと思った」と、口にしている。「出馬に踏み切ったのは残りの1%。情に引っ張られたところもある。何かに引っ張られた。動物的な勘もあった」。
議論を重ねても、変わろうとしない国。「脱原発、エネルギーシフトの推進に有利な議論になったとしても、また元に戻ってしまう。議論を重ねたことを実行し、実現するには、リアルな変化を起こさなければ。山口からプラスの変化を起こしたい」。自らがやるしかないと、持論を実現するため、政治家への転身を決意した。
小規模分散型のエネルギー改革を軸に、地域で自立して経済を回していこうという、新しい地域経済のあり方、図式を説いていった。県知事選を通して、山口での縁が広がった。「山口は変わった」という実感があった。保守層にも支持してくれた人がたくさんいた。守旧(依存)と保守(自立)の違いが、はっきりしたという。
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