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輝く九州の女性たち

インドネシアでのマングローブ植林こそが天職(3)~(株)ワイエルインベスト 川添香織氏
輝く九州の女性たち
2013年8月30日 07:00

 インドネシア政府が運営するシドアルジョ海洋水産専門学校(Akademi Perikanan Sidoarjo、以下、APS)。その卒業式に招待された(株)ワイエルインベスト(本社:福岡市中央区、山本亮社長)の社員の、川添香織氏は、持ち前の意志の強さと実行力で、明るく朗らかにインドネシアでの環境保全事業に取り組んでいる。一度は国内で福祉職に着く機会を得ながらも、より広く険しい世界で人々を支える道を選んだ。しかし同氏の笑顔からは、苦労の跡形すら感じられない。今回の卒業式参列に同行した記者が、その笑顔の理由に迫った。

<仕事をするために必要なことは現地で学べるもの>
 ――川添さんの話を聞いていると、専門的な知識や経験がなくても、「これならできる」ということに積極的に関っていくと、道は開けていくものだということが、良くわかりますね。

 川添香織氏(以下、川添) 当時、英語はもちろんインドネシア語もできないわけですから、とにかく今できることを行動で示す以外にない、と思いました。

 ――今の風潮は、「社会に出て恥をかかないよう、学生時代に準備する」ということが重視されすぎて、「行動し、失敗して学ぶ」ことの大切さが忘れられている気がするのですが、その点をどう思われますか。

kawazoe.jpg 川添 そうですね。私の場合、今まで学んだことがない知識を要する場に就きましたが、本当にやりたい仕事だったから良かったのではないかと思います。何があっても、「好きでやらせてもらっている」という気持ちがあるので、苦に思えない。植林以外で、マングローブ林の現地調査のために熱帯雨林に入って作業することもあるのですが、アブに刺されて両腕が発疹だらけになろうが、泥の河を何とかして渡って前に進めと言われようが辛いとは思わないですね。私は泳げないのですが、現地の人と協力すれば河も渡れるものですし。そうこうしているうちに、インドネシア語もわかるようになっていきました。

 ――ちなみにどのようにして渡ったのですか。

 川添 ニッパ椰子という、マングローブ林に良く生えている高さ5メートルぐらいの椰子があるのですが、それを切り倒して、その場で筏を作って渡ったり、なければ泳げる人にサポートしてもらいながら泳いで渡ります。

 ――まさに現場で役立つものは、現場の人に教えてもらいながらでないと学べないものですね。やはり机上で得た知識をもって世に出て、転んだだけで諦めてしまっては勿体ない。

 川添 ただ私の場合、初めて現地に入る前にあらかじめ、「たぶん、現地の暮らしぶりには耐えられないだろう」と聞かされていましたから、ある程度予想はしていましたよ。だから、実際現地に入ってかえって、「あ、思ったよりひどくない」と思ったぐらいです。

 ――最悪を予想して、覚悟をしていたと。つまりリスクを覚悟で赴いたということですね。

ikada.jpg 川添 田舎育ちというのも良かったのでしょう。おかげ様で少々のことでは驚かない。初めて訪れた現地は森のなかにあり、川辺に高床式の家を建てて集落を作っているような場所でした。生活に必要な水は、雨水を溜めて使います。水に虫が浮いていることなどしょっちゅうですが、何とも思いませんし。でも水がなければこんなに不便なのかとは気づかされましたね。雨が降らなければ、その日を暮らすための水も得られないのですから。

<バケツ一杯の水はかけがえのない価値ある贈り物>
 ――そのように大切な水を、現地の方は川添さんのために用意してくれたのですね。

 川添 そうなんですよ! 私はそれをとても有難いと思いますし、誇りにもしたい。量はバケツ一杯ぐらいですが、それを現地の人たちは、どれほど大切に使っていることか。そして私のために水を準備してくれるのは、私の前を行く人々、弊社の山本社長を始め、今までの道筋を作って来た方々の仕事が、現地の人々を喜ばせるものであったからなのです。それだけ、本当に人を喜ばせる仕事に就くことができたのだ、という喜びが、強いモチベーションになっているとも思います。

 ――他に、現地で得た喜びはありますか。

 川添 実は、私たちが調査に入る森林は、現地の人々でも必要以上に近寄りたくない場所なのだそうです。道もないような険しく危ないところですから、慣れていても行くだけで相当体力を使うらしく、村長――確か40代ぐらいの方だったのですが、午前中に行って、一度昼食を摂りに村に戻ったら、もう午後は入れないと言うほどです。そこに私のような「女性」が毎日、午前と午後の2回通おうと言うのですから、最初は皆から大反対されました。村長からも、「行くな」と止められたぐらいです。しかし最終的には認めてもらえるようになった、あの喜びは大きかったですね。

(つづく)
【黒岩 理恵子】

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