「政策に隔たりがある」などと一部のマスコミなどが連携を懐疑的に報じている大阪維新の会と減税日本。NET-IBでは、「中央集権打破」で一致した東京・大阪・名古屋による地方連合の連携が計画的に進んでいることを報じている。今回は、その現状を探るため、ひとりのキーパーソンを取材した。
キーパーソンとは、古くは減税日本代表で河村たかし名古屋市長の支持者として減税日本の立ち上げ以前から深く関わっている三宅功(みやけ いさお)愛知県議(名古屋市名東区・1期)。三宅氏は、現在、大阪維新の会の維新政治塾の塾生(愛知県29名)のひとりである。ただし、三宅氏は、国政への転身は考えていない。同塾への参加は、『中京都構想』の実現のため、大阪維新の会が推し進める『大阪都構想』を学ぶこと。そして、"来るべき戦い"に備え、愛知県における大阪と愛知の「お世話役」となることを強調する。また、同塾でもそのスタンスを明言しているという。
三宅氏はもともと、機械工具問屋である中小企業の経営者。1991年4月、名古屋市政への問題意識から同市議会議員選挙へ無所属で立候補し落選。以後、政治への想いを河村氏に託し、後援者(河村サポーターズ代表)として活動した。現行制度上の「奇跡」と言える名古屋市議会リコール運動でも10人の代表請求人の代表者を務めた。
そして、三宅氏は、愛知県知事、名古屋市長、市議会解散の住民投票というトリプル選、そして、それに続く名古屋市議選という連戦で、余力がなく候補者不足が懸念された11年4月10日執行の愛知県議選に自ら出馬し、1万6,124票を得てトップ当選。減税日本県議団設立時の幹事長に就任した。
その三宅氏が自ら手を上げて維新政治塾に参加したのは、「現場レベルでの交流が必要」(三宅氏)という考えによる。背景には、無所属に始まり、日本新党、新進党、民主党を経て今に至る河村氏を応援してきた支持者として、"離散集合の現場"を見てきた経験がある。また、今回、塾生のひとりに選ばれたことは、大阪維新側の三宅氏の存在に対する期待として受け止めている。
そもそも中央集権体制の否定は、中央・霞ヶ関が画一的に決める政策の限界の指摘から始まっており、「地域のことは地域で決める」と主張するものである。したがって、意見の相違があってしかるべきであり、また、地方連合を成すうえでは相違点の認識が必要不可欠だ。三宅氏の動きは、互いに政策の相違がある者同士の連携、言うなれば『平成の薩長連合』の深耕が進んでいる証左と言えるだろう。
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