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検証ベスト電器

ベスト電器は生き残れるか(3)~噴出したお家騒動、社員困惑
検証ベスト電器
2011年3月14日 07:00

ベスト電器 1953年9月創業の九州機材倉庫(株)を発祥とするベストは、1代で"ベスト電器"ブランドを築き上げた"北田光男"という、強烈なカリスマ経営者を生みだした。68年12月(株)ベストサービスを設立し、70年12月にはFC店展開を開始。72年10月、休眠会社であった鈴木被服天幕製造(株)を現商号に変更し、翌73年3月に九州機材倉庫を吸収合併して現在の姿となった。

 84年8月、東証一部に上場。翌85年1月、ほかの家電量販店に先駆けてシンガポールに家電販売会社BEST DENKI(SINGAPORE)PTE.LTD.を設立して海外へ進出。96年1月には他のライバルを圧倒して業界で日本一となり、福岡発全国企業の雄として君臨した。かたわら、積極的なM&Aを展開していった。06年12月、(株)さくらやの株式40%を取得して連結子会社化し、関東地区における営業網拡大の地盤を固めた。

 こうした派手な一面の裏で、北田光男氏のカリスマ性と剛腕で成長を続けてきた同社の組織はツギハギだらけで脆くなっていた。02年11月、光男氏が88歳で亡くなると、86年から社長を務めていた長男・葆光氏が遺志を継ぐも、そのわずか1年後の03年12月に62歳で不慮の死を遂げた。そこで04年1月、実務全般を取り仕切っていた光男氏の娘婿・有薗憲一氏が社長となった。

 有薗体制下の経営は6年間、迷走した。北関東を本拠地に全国で安値販売競争を生き残った「YKK」(ヤマダ、コジマ、ケーズデンキ)の前に東上作戦も敗北に終わり、反対にヤマダに本丸・福岡へ攻め入られた。かつて「ヤマダ包囲網」を築いていたベストだが、その逆をやられた格好だ。

 業績が悪化するなか、10年1月12日、ベストは大リストラ策を発表した。当時社長だった濱田孝と会長だった有薗憲一氏が辞任し、新社長には副会長だった深澤政和氏が就いた。さらに、経営再建中だったさくらや15店舗を同2月28日で閉店し、その後会社を清算することなども決定した。

 直後の3月、深澤氏とともに次期社長候補の1人と目されていた井澤信親元専務が辞任。「井澤氏がさくらや買収で失敗した深澤氏の経営責任を糾弾するべく、幹部の署名を集めていた」とする一部の報道で、内部体制の混乱が表面化した。現役のベスト社員も「当日はたまたま休暇をとっていたため、翌日に出社して寝耳に水といった感じだった。何も知らされていなかった」と述懐している。

 井澤氏は解任直後、「私自身が驚いており、話すことは何もない」としながらも、「辞任は青天の霹靂だった。現場で頑張っている社員たちに申し訳ない」と週刊誌記者の取材に応えている。筆者も当時、井澤氏ほか役員の家をほぼすべて回り、役員の1人だった真崎光晴氏は「答えることは何もない」、濱田前社長の妻は「夫は家では仕事の話はするなと言っていますから、私には状況が分かりません」、有薗氏の妻(つまり北田氏の娘)と見られる人物はインターホンごしに「有薗はのどのガンをわずらっているため、お話しできません」という状況だった。

 とは言え、この問題は、冒頭掲げた一通の文書が的を射ていると仮定すれば、実際のところは有薗・濱田両氏の意向が強く反映されていたとも考えられる。また、これは単なるベストのお家騒動というだけではなく、ヤマダvsビックという構図のなかで見ておく必要があるだろう。

(つづく)

【大根田 康介、流通取材班】

COMPANY INFORMATION
代 表:小野 浩司
所在地:福岡市博多区千代6-2-33
設 立:1953年9月
資本金:318億3,278万円
年 商:(10/2連結)3,456億1,900万円


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