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ハマタケがほえる

松本龍 中選挙区制・福岡1区が育てた「最後の大臣」(前)
ハマタケがほえる
2011年7月 6日 10:23

<中選挙区制度が育んだ5人の巨星>

 中選挙区時代、西日本新聞会館の福岡国際ホールで、たしか「これから日本を背負っていく福岡のリーダー」という演題だったと思うが、リレー形式の講演会があった。

 当時、20代の私はまだ駆け出し。代議士事務所に出入りをし、運転手を買って出た頃だったが、山崎拓事務所の関係者が「そんなに熱心なら」ということで勧められて参加した。松本龍氏当日は、拓さんの奥さんに良くしていただいたことが懐かしい。
 参加者は、山崎拓、太田誠一、神崎武則、楢崎弥之助そして松本龍である。龍さんとは初めての出会いだったが、今思えば蒼々たるメンバーだ。このメンバーは中選挙区時代、本当に凌ぎを削った。そして、この5人の存在は大きくなっていった。

 私の選挙区の筑紫野市では、太田さんと拓さんの事務所に同時に出入りすることは厳禁で、もし禁を破ればスパイ扱いをされ、人前に出れなくなるほど。そういう鮮明に色分けされた時代だった。だから、保守系に属していた私が龍さんの話を聞く機会などありえなかったのである。

<龍さんの元で働くことに>

 政界再編後、私は新党さきがけへ入党し、同党の福岡第5区連絡所所長となった。そして、さきがけが民主党と合流することになり民主党福岡第5総支部の中興に関わった。街宣活動から、議員の発掘、当選まで。資金調達から借金の返済も。私は物心両面、相当つぎ込んだ。限りなくゼロに近かった組織を再構築し、組織委員長として国政選挙も執り行なった。自民党から一目置かれる存在にまでなった。

 「同和の質問をするようだけど、民主党の県連代表がどんな立場か、浜ちゃん分かってしよるっちゃろうね?」
下田淳一筑紫野市議(元楢崎弥之助秘書)から一般質問について忠告も受けた。私は民主党現職市議にも関わらず、かなり、同和行政にきつい質問もした。しかし、龍さん(当時、福岡県連代表)は何も触れず、2期目の選挙の応援とあいさつ回りをしていただいた。
 私は5区の組織拡張のため相当無茶なこともやった。今思えば、龍さんが「俺の責任」と、かぶっていた節も感じる。

(つづく)

【浜武 しんいち】

 (後) ≫

<プロフィール>
浜武 しんいち浜武 しんいち (はまたけ しんいち)
 1965年10月23日、東京都大田区生まれ。74年、筑紫野市へ転居。84年、東福岡高校卒し、フリーデザイナーとなる。95年、久留米大学法学部を卒業後、政治家を志す。97年、筑紫野市議 落選(次点・626票)。99年、新党さきがけ福岡県支部筑紫野連絡所所長就任。2001年、筑紫野市議 初当選(1,200票)。03年、民主党福岡5区総支部常任幹事および同組織委員長に就任。05年、筑紫野市議 2選(1,581票)。07年2月、民主党福岡県連より除籍。同年4月、衆院福岡2区補選 落選(2,857票)。09年、筑紫野市議 3選(1,328票)。11年1月、筑紫野市長選挙に出馬、3,765票で落選する。
 なお、政治活動のほか、理数専門塾(株式会社 FCS数学教室)の主宰、番組制作会社の主幹も務めている。

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