ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

発信!北九州

「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(15)
発信!北九州
2011年11月16日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(15)~鈴木商店の破綻(6)> 

若槻禮次郎.jpg 法案自体は無事通過し事態は沈静化したかに思われたが、1927年3月18日、臺湾銀行は内地支店を休業。続いて臺湾銀行は1927年3月27日、鈴木商店へ新規融資の打ち切りを通告。
  鈴木商店の系列化にあった鳥取発祥の第六十五銀行にも鈴木商店を支える体力はなく、ついに鈴木商店は資金調達が不能となり、4月5日、事業停止・清算に追い込まれた。
 鈴木商店が倒産する前日の4月4日に、第六十五銀行は鈴木商店との絶縁を宣言したが、鈴木商店倒産のあおりを受け、4月8日から一カ月あまりにわたり営業休止に追い込まれている。
 なお、第六十五銀行は翌1928年(昭和3年)10月に、神戸銀行(現在の三井住友銀行)の源流となる神戸岡崎銀行に営業譲渡のうえ清算された。

 一方、業績悪化に陥った臺湾銀行を救済するための救済緊急勅令案が、枢密院に提出されるが却下され、若槻内閣は総辞職に追い込まれる。若槻内閣の後を継いだ田中義一内閣は、事態を終息させるべく、4月22日にとりあえず銀行を2日間臨時休業させることとしたほか、日本銀行による応急の貸し付けを実施するとともに、3週間のモラトリアム(支払猶予)を公布した。これを契機として、昭和の金融恐慌はようやく鎮静化した。

 臺湾銀行は、このモラトリアムの実施と政府の支援措置(「台湾銀行整理方針ニ関スル件」(昭和2年[1927年]7月19日閣議決定)によって再建することになった。
 日本統治時代の台湾銀行は、台湾領有に伴う大日本帝国政府の国策により、1897年3月公布の台湾銀行法によって1899年6月に設置された台湾の中央銀行である。紙幣発行権を持つ特殊銀行であったが、第二次世界大戦の日本敗戦により閉鎖機関に指定され、1945年9月30日に清算されて解散している。

(つづく)
【北山 譲】

≪ (14) | (16) ≫

*記事へのご意見はこちら


※記事へのご意見はこちら

発信!北九州一覧
発信!北九州
2012年5月24日 19:19
発信!北九州
2012年4月27日 14:00
発信!北九州
2012年4月26日 20:00
発信!北九州
2012年4月25日 12:02
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル