<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(32)~銀行法の制定と県内銀行の合併(6)>
ニ、当銀行ハ株式会社三十四銀行ト密接ナ関係ヲ有スルヲ以テ昭和二年十月三十日左記取締役間ノ覚書ニ適当スル条件ニアラサレバ合同ヲ背セサルコト
一、當銀行ニ合併ヲ希望スル銀行ニ對シテハ左記ノ條件ヲ標準トシ株式会社三十四銀行ノ同意ヲ得合併スルコト ~以下省略~
二、當銀行ヲ他ノ銀行ニ合併セントスルニハ當銀行ノ信用スル株式会社三十四銀行ヲ選定スルコト
このように華浦銀行が長周銀行との合併を忌避したのは、三十四銀行の強力な後盾があることもさることながら、当時の長周銀行が積極的拡大策をとっており、その資産内容に懸念を持っていたものと思われる。これは宇部銀行の文書中にも、当時同行の重役がそうしたことに懸念し、当分の間長周銀行との為替・取立取引関係の中止を通牒している事実からも推察される。
これにより県下合同の大合同の目はなくなったが、大島銀行もまた、少し遅れて昭和4年3月次のような答申書を大蔵省に提出して合同を拒否している。
大蔵省主導による長周銀行と華浦銀行との合併は失敗に終わることになる。
華浦銀行が頼みとする三十四銀行は大阪の繊維関係の有力商人により、1878年(明治11年)4月13日に設立。文中に出ている昭和2年10月から6年後の1933年(昭和8年)に鴻池銀行と山口銀行(注:大阪の山口銀行であり、現在の山口銀行とは関係はない)とが合併して三和銀行となる。
その三和銀行も東海銀行と合併し、UFJ銀行となるも不良債権の処理を巡り大蔵省の検査忌避などから2005年(平成17年)に東京三菱銀行に吸収合併され、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。
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