3月11日、どうやらこの日は世界史的に意義のある「反原発の日」になりそうだ。世界各地で原発反対のデモを行ない、それによって原発の行く末を考えざるを得ない状況になっている。電力の75%を原子力に頼るフランスでは3万人以上(公称6万人)の人が「フクシマを忘れるな」と人間の鎖をつくった。
一方、日本は穏やかなものだった。核燃料再処理の要衝である六ヶ所村を擁する青森の脱原発デモは1,700余人の規模となった。まるで台風の目のように、日本での動きは海外のそれに比べるとゆったりとしたものだったのである。なにも大きなデモをすることがいいわけでもないし、海外の活動を受けてから動いては格好悪いこと限りないが、それでも何だか残念な感が否めない。原発を推進するのも反対するのも人間がやることだ。どちらも言いたいことがあるのならば、公に訴えるべきだと思う。
来年、再来年、10年後の3月11日はどういう日になっているのだろうか。
さて、話を戻そう。これまで見てきたように、原発には幾重にもバリアが張ってある。それは玄海原発も同じだ。ただ、4番目の格納容器と5番目の建屋の間には空間はなく、鋼板でできた内壁にコンクリートのぶ厚い壁がくっついているような構造になっている点だけが異なる。
玄海原発は福島のそれとは異なる形式(加圧水型軽水炉。福島は沸騰水型軽水炉)であり、さらに3号機、4号機は比較的新しいため格納容器と建屋がくっついたコンパクトなものとなっているのだが、それによって安全性が損なわれることはない(とされている)。建屋にあたる部分で使用されているコンクリートには太い鉄筋が張り巡らされている。実際に玄海原発に併設されている資料館「玄海エネルギーパーク」にある模型を見る限り、万全の備えがなされているように感ぜられた。
格納容器と建屋がくっついているからといって問題はなく、逆に古い設計思想のもの以上に安全性に気が配られている。ペレット、被覆管、圧力容器、格納容器、建屋。5重の備えで平時の運転は万全だろう。ただ、何度も言うように平常ではないきっかけで平常ではない欠陥が発生し、尋常ではない被害が発生する可能性はついて回る。この部分について考えてみることにする。
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