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鹿児島・薩摩川内市産廃処分場建設は植村組への救済か(2)
特別取材
2012年4月 3日 14:59

 鹿児島県薩摩川内市で着々と進行している産業廃棄物の管理型最終処分場建設をめぐり、鹿児島県政が揺れている。伊藤祐一郎県知事の強引な手法もさることながら、同事業をめぐる人間関係を紐解くと、公金支出をめぐってさまざまな疑念が浮かんできた。その渦中に、地元有力企業・植村組の姿がある。

<成長と凋落の歴史>
植村組 1947年12月、植村近氏が植村組を個人創業したのがグループの始まり。51年1月に(株)植村組として鹿児島県の川内市(現在の薩摩川内市)で法人化。九州南部地区で営業基盤を拡大していった。59年11月に南日本高圧コンクリート(株)、翌60年1月に川内砕石(有)、65年9月に植村産業(株)、67年12月に西日本地下工業(株)を、それぞれ川内市に設立した。69年11月には、南日本基礎工業(株)を鹿児島市に設立するなど、建設関連事業の企業グループとして基盤を構築していった。

 一方で、66年にゴルフ場・ホテルの経営を目的に南九州開発(株)が設立されるなど、植村組は事業の多角化も志向し始めた。それだけにとどまらず、81年11月にはパチンコなど娯楽施設の経営を目的とする南日観光(有)を設立。同社は、現在ではグループの中核企業の位置を占めるまでに成長している。高度経済成長に歩調を合わせるように成長した植村組グループは、ピーク時にはグループ企業が20社を超え、合計700億円超の売上高を誇る鹿児島県を代表する企業グループへと成長を遂げた。

 成長の象徴が、橋梁工事を手がけるコーアツ工業(株)の上場だ。鹿児島県の企業としては2社目の事例で、これを機に同グループから独立したが、依然として筆頭株主は植村組である。順風満帆だった業績もバブル経済崩壊後、「阿蘇グリーンヒルカントリークラブ」を経営するグループ企業(株)西原カントリーが破綻したことで信用不安が拡大し、成長から凋落への転換が決定的になった。

 その後、とくに建設不況の煽りをまともに受け、グループ企業同士で合併や統合が進められた。グループは現在12社にまで減少、盤石に見えたグループの基盤も大別すると建設・不動産関連、ホテル・レジャー・アミューズメントの2分野しかなく、建設不況、消費不況の影響から逃れる術は持ち得ていなかった。

 薩摩川内市役所側に建つ同社グループが入るひときわ大きなビルや、その周辺に市制施行60周年を記念して献灯された灯籠の様子を見ると、植村組グループの同地での力の一端が垣間見える。さらに、鹿児島県(県整備公社)、植村組、鹿児島県議という三すくみの関係から生み出された不透明なカネの流れが、さらに疑念を深めている。

(つづく)
【特別取材班】
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