中経協の創立は、早や38年を経る昭和49年であった。その後、昭和53年には田川、昭和56年には北九州、昭和59年に筑後と、爾来、支部の設置を進めて今日に至る。その種蒔(たねまき)の後、北九州・筑後は、地域中経協として独立法人化を果し、福岡も昨年、その仲間入りを果した。と同時に、創立20周年からの懸案であった「県」組織もようやく連合会として分蘗(ぶんけつ)、次なる高みをめざすこととなった。組織生命体として、この「分蘗」の果す意味は大きい。広辞苑を引くと「稲、麦などの根に近い茎の関節から枝分かれすること。」とあり、各々、まさに、歴史、哲学、思想、そして、使命をそのまま継承していくものであることを心していきたい。
また、昨年度は、中経協連合会としての新たなる歴史を築く大きな一歩を踏み出すにあたり、運営原則を打ち出した。まず、第一に、連合会事業においては、県下四地域中経協共通の課題である事業の共同化と、広域的、国際的、あるいは、社会的、国家的事業に取組むこと。第二に、連合会は各地域中経協の活動支援につとめ、何か事故ある時は、責任を共有すること。第三に、各地域中経協から連合会への運営分担金は徴収しないこと。―とした。また、福岡中経協との仕訳けについては上記事項に加え、連合会事業として、地域活性化支援業務の役割を担うこと。最初の2年間を移行期と定め仮原則として人事について、協会採用の職員の身分は福岡中経協、出向職員の身分は連合会として、業務分担上は相互に乗り入れ連携をはかること。運営については、家賃は折半とし、機器類の費用負担は、その使用目的や利用頻度により負担すること。経理面において、会員からの会費及び会員の資産に関するものは、福岡中経協に帰属する。従って、その保護のため社団法人の継承は福岡中経協がこれを継承し、連合会は新たに法人格を取得するものとする等であった。無論、長期的展望からして、事務局人材の育成も連合会事業の重要な課題の一つであるのではないだろうか。
さて、今年度は連合会体制の強化をはかる上において連合会会長交替という意義深いスタートを切ることになった。中経協は、経済団体の中でも、補助金に頼らず特定の支援組織も持たず、展開する事業の持つ方向性、考え方、あるいは組み立て方を評価して頂き、その対価としての運営原資を確保し独自の運営システムを確立した独立した経済団体である。とりわけ、「評価を対価」とすることは自らにも、より高い事業の品性を求める厳しい現実を伴う。これが、中経協のエネルギーとなり成長の原動力となるのである。
この観点からして、トップリーダーに求められるものは、第一義として、中経協の設立の原点ある思想・哲学・方向性の継承である。二つ目として「事業は思想の表現」としての事業創造、つまり、事業を産み出すこと創り出すこと。三つ目としては、人材の育成と組織の拡充である。いづれも永続的課題への真摯な取組みである。これらは連合会の役員メンバーが等しく堅持すべき課題であろう。
昨年、幸いにして、中経協事業の質的な評価を頂く機会を得た。それは、経産省の第三次補正予算にかかわる事業構築の検証の場として、本省より再度にわたり来訪頂き、延べ5日間に及ぶ調査があり、役員とのミーティング、経済団体との懇談、経営者や大学関係者との面談、事業への参加、事務局職員との総括会議等、精力的に取組んで頂いた。その結果、中経協事業と運営は、その内容において充分に経済団体や企業をリードし得るものであり、経済界のリーダーとして期待できるものであると伝えられた。
中経協は、創立以来、時代が求める課題に挑戦し続け今日を迎えた。そういう中にあって、わが国の歴史に新たな歴史的起点を記した「あの3.11」東日本大震災を契機に、わが国の国家的課題がまたもや浮き彫りにされてきた。中経協は、それらの課題に取組み、経済団体として国創りに参画すべく創立30周年を契機として全国組織の展開へと準備を進めてきた。愈々、その時が来たのである。起ち上って、わが国の再興に邁進するときが。これらへの取組みが中経協創業の意義を問うものであり、先達の希いに添うものと確信し、更なる前進を誓うものである。
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