<あるメールの一本)>
7月3日にあるメールが1本、送られてきた。『ネットIB ご意見・ご感想』のメールである。【ご意見・ご感想】には次のように記述されていた。「さとうベネックはもう終わったと感じます。」から始まって「土木部門の解体(儲からない仕事と判断)」云々と述べてあったのでピーンと感じるものがあった。「あれー、土木部門の責任者である竹内氏が首を切られたのだろうか?」という疑問を抱いた。なぜならば「3月の初めに大川オーナーに会ったときには竹内氏のことを評価していた気がしたはずだが」という印象を持っていたからである。そこで内部情報を探り始めてみた。取り敢えずさとうベネックの法人登記を取ってみた。まだ竹内氏の辞任登記はなかった。
続いて周囲が慌ただしくなったのは5日の昼過ぎのことである。まずは「さとうベネックは大丈夫だろうか?」の問い合わせがきた。問い合わせ先とやり取りした。「どうして心配するのですか?」と探りを入れてみた。心配の根拠として「以前の取締役のメンバーの大半が辞めたようだ。果たして組織の継承ができるのであろうか」というのをあげてくれた。このような問い合わせを5、6日の2日間で筆者だけでも5本受けた。
確かに懸念する材料には気づいていた。6月の初めにさとうベネック側からファックスが送り付けられてきた。同社に対する大分銀行の不当行為に関することが記載されていた。先方の社員からはわざわざ「ファックスは届きましたか?オーナーに連絡してください」と確認のTELがあった。早速、大川オーナーに折り返しの下記のようなTELした。「私の出番があることがあれば連絡してください」と。同氏は会議中のようであったようだ。「必要があればまたこちらからTELする」と言ったままその後、無しの礫になった。面談の取り決めも実行できずに時間が過ぎた。こちらとしては「あー大分銀行との間には軋轢を生んでいるのか。感心できることではないな」という記憶が気がかりになっていた。
<会長がまずは退任>
まずは7月3日段階の法人登記を参照してみよう(7月9日段階では手続中ということで閲覧できなかった。資料(1))。参照すると第一番に退任したのが会長職にあった山田啓一氏であることが判明した。聞くところによると彼は早稲田大学理工学部を卒業後、清水建設に入社した。最終ポジションは【アメリカ清水】の社長で終えている。帰国後、清水建設を退職した。「この華麗な経歴を利用しよう」と後記する資本ファンドの【ネクストキャピタルパートナーズ】がさとうベネックにスカウトし会長に迎え入れたのだ。同社の紫原社長も山田会長の見識の高さを褒めていた。
どうして山田氏が退任したのか不思議である。3月の初めのことだ。筆者はさとうベネック東京支店で新オーナーの大川氏と山田氏を一緒に取材した。その時点では二人の間は意気があっていた感じがしていたのであるが――。その3月末には山田氏は会長職を退任したのである。叩き上げの大川氏と肌が合わなかったは定かではない。経緯はどうであれ筆者は「オーナー大川氏にとっては山田氏の退任は大きな痛手になった」とみる。
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