<紫原社長の甘さと裏切り>
紫原社長の前任社長(先輩でもある)堀誠氏の悔し涙を目の当たりしたことで、筆者は「社員たちが自立経営できる環境づくりをお手伝いしたい」と覚悟したことを前述した。紫原社長も「社員たちのために頑張る」と公言してきた。だが、こちらとしては「本当にすべて泥を被ってまで、経営の責任を取る器があるかな」という一抹の不安をずーっと抱いてきた。だが、「N社の儲けのために会社が転がされては、社員たちも浮かばれない」と判断して、支援ができるチャンスを待っていた。
「さとうベネックの売らんかねー、買わんかねー」がピークに達した2011年12月のことであった。「12億円ならOK」と意志表明したA社長(前出)と紫原社長を引き会わせた。
「紫原社長!!私はさとうベネックを子会社と対外的に宣伝して、経営に干渉するつもりはない。経営は君たちに任せる。12億円は当初から約束したことだ。ただN社が14億円でしか売らないというのであれば、君たちで2億円調達しなさい。君たちも経営者の端くれならば、自分たちで2億円の株資金を捻出するのは当り前だろう。もう一度、伝えておく。最大の株主だからといって、私は経営に一切口出しはしない。自分たちで責任を持ってやりなさい」と喝破した。さすが、経営を極めたA社長である。
A社長の話を聞いていた紫原社長は、神妙にしていたが、使命感に駆られて感動していた様子は見られなかった。
あとでA社長に尋ねてみた。「どう見ます?紫原社長が必死で2億円をかき集めてくる確率は、どのくらいでしょう」と投げかけてみた。「まー、30%の可能性だろう。目の輝きがあまりないな」と至って冷静だ。
筆者が紫原氏の立場であったならば、次のように語っていただろう。「A社長!!自立経営の機会をいただいてありがとうございます。関係者に頭を下げて、懇願して廻る所存です。必ず2億円を捻出して、N社から資本を買取ります。そして、さとうベネックを素晴らしい会社に仕上げてみせる覚悟です」。
2週間過ぎて、紫原氏に資金調達の現状を探ってみた。
「取引業者さんのなかには『出資に応じてもいい』と賛同してくれているところもある。ただ、あまり業者から出資を受けると、後で単価交渉がやりづらいしね」と、なかなか煮えきらない返事をする。「そのマイナスの面もあるが、まずは貴方たちが自立経営をできる環境整備することが先決であろうが」と、叱咤激励をした。一方では、「実質的な経営者になれば、個人保証などのリスクなども被らなくてはならなくなる。そこまでの覚悟はしていないな」と、紫原氏の腹の内を見透かした。「所詮、雇われの身から脱皮できない奴だ。過大の期待はしない方が賢明だ」と悟った。
紫原氏が資金調達をサボるなかで、事態は急変していく。
今年2月末には、ダイセンビルディングのオーナーである大川義廣氏が、さとうベネックに乗り込んできた。そして、大川さとうベネックになって4カ月半で、ゴタゴタが表面化してしまった。大川氏の弁を借りれば、『紫原氏も6月末で辞めていただいた』となる。紫原氏が強弁していた大切な若手社員たちが、頼りとする周囲の方々に再就職の相談をしている現実を目の当たりにして、どう感じるのであろうか!!(福岡では筆者の友人は、同社の若手社員たちから相談を受けているそうだ)。
ある旧幹部に質問してみた。「どうして紫原氏ほか経営陣たちは、死に物狂いで2億円集めに奔走しなかったの?」。すると、正直な回答を得た。「いや、我々が甘かったのだ。たしかに自立経営には魅力を感じていた。しかし、『次の買い手の下でもそこそこの経営が可能であろう』という甘い見通しを持っていた。ところが、こんな最悪の事態になるとは予想すらできなかた。甘かった」というものだ。紫原さん!!辞めていった社員が言っていましたよ。「紫原氏を先頭にした生え抜きの幹部たちは、骨のない連中ばかりだったのには呆れる」と。
紫原さん!!N社には感謝されて、さとうベネックの仲間たちから疎んじられていることの現実に対する心境は、いかがですか?
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