<議論を一歩先に>
「反原発」、「脱原発」を声高に叫ぶだけでは、議論は錯綜する。脱原発のその先の議論が重要なのではないか。発送電分離、それから、再生可能エネルギーをどのように安定供給できるように技術を向上、普及させるのか。
7月29日には、脱原発を訴え、約20万人のデモ参加者が、国会議事堂を包囲した。原子力の是非について、多くの国民が関心を持ち始めているのは良いことだ。多くの国民が、再稼働反対など自分の考えや声を挙げていくのも重要なことだろう。急速な脱原発が現実的でないのであれば、どのように原子力の割合を縮小させていくのか。原子力発電の割合を縮小した後にどうするのか。経済活動に支障がないように、太陽光、風力などの自然エネルギーの割合を増加させ、原子力の割合を減らした後の電力をどのように機能させていくのか――。国民的な議論を、一歩前進させなければならない。
我々にできることは、電力とそれに関係する未来図を明確に描くことのできている政治家、リーダーを選ぶことだ。そしてそのリーダーに、明確なビジョンを描かせることではないだろうか。「正しいデータのもとに、国民にビジョンを示せ!」と訴えることも大切かもしれない。
<意見聴取会は迷走>
国民的議論になればとの意向で、全国各地で「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」が行なわれているが、第1回の埼玉、第2回の仙台、第3回の名古屋での開催で、抽選で選ばれた9人の発言者のなかに電力会社の社員、幹部、関係者が含まれていたとのことで、「やらせではないのか」と批判が上がった。
この意見聴取会は、大手広告代理店の博報堂が、全国の12地域で、7,854万円の費用をかけて開催している。この意見聴取会そのものが、「国民的議論をやりました」という事実をつくるためだけの無駄な議論なのではないかとの意見も出ている。「国民的な議論をする」という割には、会場を訪れた聴衆の意見は聞かない(発言権がない)というのも妙な話。はたして、今後の電力を語るうえで、かけた税金7,854万円に見合うだけの建設的な聴取会となるのかどうか。依頼した行政側だけでなく、聴取会を取り行なう側も、国家の未来を大きく左右する可能性があるという真剣味と危機感に欠けている。民意軽視のまま、議論は進んでいく。
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