<新興オーナーのゴルフ場は皆、潰れた>
平成の初頭、一財をなした不動産業経営者は「ゴルフ場のオーナーになることこそが社会的シンボルになる」と決意してゴルフ場の経営に乗りだした。よくよく考えると、付き合いのある経営者たちがゴルフ場のオーナーになった関係で、あちこちとプレー転戦したものだ。
一番、多かったのは佐賀・若木のゴルフ場だ。トップバッターとしてオープンさせたのが佐賀県北山の麓・フジカントリー倶楽部である。このオーナーは西部通商の中井社長という人で、先見性に富んだ経営者であった。話題提供には天才の勘を持っていた。
「西部通商の中井氏がゴルフ場のオーナーになれるのならば俺もなってみせる」とゴルフ場経営に参入するのが一つのブームとなった。福岡市中央区にある中堅マンション業者の社長から、熊本にゴルフ場の建設計画があると打ち明けられたときには唖然としたものだ。「これではゴルフ場オーナーの権威が廃れる」と内心嘆いた。しかし、現実、取引行が応援するから経営者は意気揚々となる。
もちろん、このケースの場合も、本体の会社もろとも潰れてしまった。この例を見ても金融機関にも責任の一端がある。嫌と言えないバンカーは情けない。
前回までで紹介してきた福岡雷山ゴルフ倶楽部、筑紫が丘ゴルフのオーナーたちも経営権を手放した。ひき取った(引き取らされた)福高観光開発は名門・芥屋ゴルフ倶楽部を運営している。この会社もバブルクラブハウスを新築したので、資金繰りが四苦八苦状態になった。
福岡雷山ゴルフ倶楽部のオーナーであった安部氏は「ゴルフ場経営は至らぬことであった」と反省する。
ゴルフ会員権の乱発で資金を容易に集めることができるし、先程指摘したとおり金融機関は後押しするし、で、野心家たちがゴルフ場オーナーの道へ殺到したことは頷ける。だがバブルが弾けたあと、周囲を見渡せば倒産したゴルフ場の山である(経営権の委譲)。
佐賀県では豊栄建設が花祭りゴルフ倶楽部を運営していたが、本体は倒産した。北山カントリークラブを掌握していた神埼産業(佐賀県)も行き詰り、九電工が経営権を譲渡した。博多区にあったデベロッパーの雄であった東峰住宅産業も、ゴルフ場経営に乗りだした矢先に倒産した。老舗であった久山カントリークラブもオーナーがチェンジしている。
紙面が無いので破綻実例は省略する。まともにゴルフ場経営をしているのは小郡カンツリー倶楽部だけである。オーナーの水田一党は唯一、元気がよい。
<田原オーナーもゴルフ場進出が命取り>
「不動産眼底能力は業界一」と目されていた田原学オーナーも、ゴルフ場経営に関して時代の先行きを見誤ったようだ。命取りになったと烙印を押していい。
当ゴルフ場の金融債務(ゴルフ会員権分含む)は140億円ある。ソロンの事業に置き換え得れば140億円の事業資金で800戸のマンションが供給できるのだ。バブル時代において『ゴルフ会員権118億円は借金』という認識が無かったのであろう。
田原氏のゴルフ場への熱い熱い思いは充分に今でも伝わってくる。それが残念ながら本人が陣頭指揮不能になると、役所並みの組織に腐ってしまう(このシリーズ1、2で記載したとおり)。
「存在感のない組織が破産した方が賢明だ」と強調して終りとする。
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