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逆境から生まれたシェアNo.1~アイリスオーヤマ・大山健太郎社長
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2013年11月25日 18:48

<19歳で家業を継ぎ、"若さ"でピンチを乗り切った>
 22日に行なわれた福岡商工会議所主催の恒例の「福商経済・経営講演会」では、講師にアイリスオーヤマ(株)代表取締役社長の大山健太郎氏を招き、「ピンチはチャンス」の演題で講演を行なった。

 透明なプラスチック収納ケースで一世を風靡し、その後もヒット商品を続々と世に送り出しているアイリスオーヤマは、宮城県仙台市に本社を置いている。国内8カ所に工場を有するほか、1992年アメリカ、96年中国、98年オランダなどに現地法人を設立し、現地生産、現地販売で事業を展開。現在、同社単体で売上高1,100億円、グループ連結では2,500億円の巨大企業にまで成長したが、ここに至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかったことが講演で語られた。

ooyama.jpg 大山氏は1964年7月に、大阪の町工場の大山ブロー工業所の代表に就任している。大山氏が高校3年の大学受験前に、父親で創業者の大山森佑氏が病で倒れ、その後急逝。8人兄弟の長男だった健太郎氏は大学進学をあきらめ、一家の生計を立てるため、町工場を継がざるを得なかった。これが、大山氏に降りかかった最初のピンチであった。

 これを乗り切るため、大山氏は必死に働いた。「教えてくれる先輩もいなければ、技術も資金もない。何もない状態で、独学で仕事を進めてきました。企業における必要条件が何もないなかで、あったのは19歳という若さ。朝8時から夜8時までの12時間労働でも、4~5名の仕事量では赤字が出ていましたが、それを埋めるために業務終了後の夜、1人で成型機を動かして赤字を埋めました」と苦労話を語った。
 その後、お客が増えてくるようになり、その積み重ねにより利益が出るようになった。

<大学生活を謳歌する友人らに奮起>
 大山氏の転機は20歳の頃。供給量以上の受注が舞い込み多忙を極めたが、そのときに「一生下請で終わりたくない」という志を抱いたことがきっかけだった。大山氏は大学進学を断念せざるを得なかった状況だったが、友人たちは大学に行き、学生生活を謳歌していた。そのことでハングリー精神が刺激され、奮闘した。

 71年4月、大山氏が22歳のときに会社を法人化し、大山ブロー工業所(株)を設立。当時、釣りの「浮き」は木製のものが主流だったが、プラスチック製の浮きを製造し、これがヒット。四国、長崎、宮崎、鹿児島と販路を広げていくと同時に、企業規模も拡大していった。他社がやらないことをやり、新しい市場を開拓していく同社の精神は、ここで築かれた。

 その後の同社の活躍はよく知られているが、なかでも、中身が見える透明なプラスチック収納ケースを世に出したことは有名だ。それまでは色付の収納ケースが主流であったが、「(色付の収納ケースは)いちいち開けなければ中身がわからない。ならば自分たちで透明なものをつくってしまおう」という大山氏の発想から、2年かけて原料を開発し、20年前に透明な収納ケースの販売に至った。
 同ケースは、当初は批判の声も多かったが、チラシを打たなかったにもかかわらず、発売直後の1週間は飛ぶように売れ、その後3年くらいは市場を独占したという。
 「しかし、これは長く続かず、その後、同ケースの同業他社が30社も増えました。販売当時は2,300円で売っていましたが、競争により半値になり、その後、価格破壊につながった」と大山氏は当時を振り返る。

 自らが作り出したマーケットであったが、"赤字を出してまでも自分の会社を守るな"という信念の下、工場の余剰機械を違うマーケットで使う発想を思いつく。1992年のアメリカ進出は、このようなことが背景にあった。その後、「アメリカ市場で供給が少なくなれば、次はヨーロッパに市場がある」という流れで98年、オランダに現地法人を設立。「ヒットがあれば常に過当競争が付きまとう」というなかで、会社を存続させるために、常に需要を創造する仕掛けを行なってきた。

<ガーデニング、ペットブームの先駆者>
 大山氏は透明な収納ケースに限らず、90年代のガーデニングブームをはじめ、ペットブームなどを仕掛けてきたという。2010年3月にはLED照明事業に本格参入。11年3月の東日本大震災を契機に節電社会となるなかで、5割近くのシェアを確保し、トップクラスのメーカーとなった。

 そして現在、同社が手がけているのが、日本の食卓に「おいしいご飯」を供給する目的で参画した米事業だ。宮城県亘理町に「舞台アグリイノベーション(株)」を設立し、同じ宮城県内の被災されたお米農家を支援。東北・北海道の銘柄一等米を使用した新鮮パック米(コールド製法を用いた3合パック)を販売している。これは被災農家の支援になるほか、同社の新たなビジネスとなった。

 講演のなかで、「顧客目線で消費者の『こんなものがほしかった』という商品を開発してきた」と語った大山氏。同業他社が参入する過当競争の繰り返しのなかで、第一次オイルショックのときに経験した経営危機を機に、「会社の目的は永遠に存続すること。利益の出る仕組みを確立すること」を目標にしてきたと言う。

 現在、同社の売上におけるプラスチック製品のシェアは2割強。さまざまな分野に強みを持ち、複合的な要素を持つメーカーとなった同社だが、『常に生活者を満足させる商品をつくる』という思いで、新しいマーケットを創造してきたと言っても過言ではない。今回の大山氏の講演は、参加した中小企業経営者らにとって、変化の激しい世界でどうすれば生き残れるのか、ピンチをチャンスに変えるヒントとなったに違いない。

【矢野 寛之】


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