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"神の手を持つ天才ドクター"小倉記念病院・延吉正清院長回顧録(前)
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2012年7月31日 10:41

 財団法人平成紫川会小倉記念病院で院長と理事長を務める延吉正清氏が、日本で初めて心臓カテーテル治療を行なってから約20年が経つ。データ・マックスでは、2008年4月に延吉氏にインタビューを行なった。「カテーテル治療で人々を幸せにしたい」と語る"神の手"を持つ同氏の言葉を、節目の今、振り返ってみよう。以下は、08年のインタビューの模様である。

(企業特報「I・B」No.1330より転載)

 1970年代にアメリカで普及し始めた「カテーテル治療」。カテーテルと呼ばれる細い管を血管の中に通して、直接、患部治療を施す方法だ。その治療方法を日本に広め、これまで4万人の命を救ってきた。今やこの分野では世界の第一人者である延吉院長を頼り、全国から多くの人々が集まる。今回は延吉院長に、患者さんに対する思い、そして医師としての信念を語っていただいた。

<医療を良くし人々を幸せにしたい>
 ――そもそも、カテーテル治療を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

0731_nobuyosi.jpg 延吉正清氏(以下、延吉) 身体にメスを入れず治療をすることで、患者さんへの身体への負担と経済的負担の軽減が可能だと思ったからです。

 ただ、この治療方法は70年代にアメリカで始まりましたが、当時の日本では誰もやっていませんでしたので、まったくやり方がわからず、どこの医療機器メーカーが製品を製造しているのかも知らない状態でした。さらに、未知の分野だっただけに、国内の関係者の間にはカテーテル治療に対して強い反対論があり、困難を極めました。

 しかし、これは必ずや患者さんのためになるとの信念があり、一念発起。自分の手で普及させようと思い、カテーテル治療の技術習得のために自費でアメリカに渡りました。ただ、現地に行っても誰もカテーテル治療を教えてくれませんでした。ならば、盗める技術はすべて自分のものにする、という意気込みのもと、見よう見まねで悪戦苦闘しながら勉強しました。苦労しましたが、その甲斐あって手先に必要な感覚を養うことができました。合計で20回以上渡米しましたかね。

 ――先生の強い信念の源はどこからきているのでしょうか。

 延吉 医療を良くすることで、人を幸せにしたい、この一言に尽きます。本当にこれだけです。

 私の両親は医師ではありませんでしたし、子どもの頃から医師になることを目指していたわけではないのです。高校生の頃、数学や物理が好きで、湯川秀樹博士の本をよく読んでいました。将来は学者になりたいと漠然と思っていましたが、高校の先生から、学者よりも医師になったらどうかと勧められたのがきっかけで、医学部に進学しました。

 医師は患者の命を預かる重要な仕事。いつも若手医師に言っていますが、「患者の命は1分の1」、「いつも死と背中合わせ」、これが医師なのです。医師にとって大切なことは「3つのS」((1)シンプル、(2)スピーディー、(3)セーフティー)であると若手に言い聞かせながら、自分にも言い聞かせています。

(つづく)

| (後) ≫

0731_nobuyosi_p.jpg<プロフィール>
延吉正清(のぶよし・まさきよ)
1940年6月11日北九州市生まれ。京都大学医学部卒。すでに欧米で普及していた心臓カテーテル治療を1981年に日本で初めて行ない脚光を浴びる。その後、数多くの心臓カテーテル治療で数多くの命を救ったことから、「心臓カテーテルの神様」と呼ばれるようになる。現・財団法人平成紫川会小倉記念病院院長兼理事長。


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