実は、経常収支を構成する各種収支の中には、貿易収支、所得収支のほかにサービス収支というのもある。サービス収支の主な内容としては、旅行がある。外国人が日本に旅行に来てたくさんの金を落とせば、サービス収支が増加する。アジアから観光客が多く訪れれば改善が見られるだろう。しかし現実には、海外に出かける日本人の方が多く、サービス収支を黒字にするのは簡単ではない。
それでは、果たして日本は成熟した債権国から債権取崩国へと向かうのか。
その決め手は現状では、足元では原子力発電を再開できるか否かが大きい。原発の稼働により天然ガスの輸入を抑えれば、貿易黒字が回復することになる。
中期的には国内製造業のもう一歩の高付加価値化が可能か否かが大きいだろう。
1ドル80円の日本で小型車を作って欧米に輸出してもまだ採算は取れているのだから、まだまだ日本のコスト競争力も捨てたものではない。これは、もはや日本人の給料が世界のトップレベルでなくなっていることが大きいだろう。
ドイツも、ユーロが高かったときに労働者の給料を切り下げることで危機を乗り切ったので、日本でも同様のことは十分可能だろう。さらに、素材などの中間財、製造機械などの資本財はまだまだ日本の独壇場が続くだろう。
そう考えると、日本は30年後も製造業で食っていける可能性はある。しかし、30年後も同じ製品を作っていられるはずはなく、逆に30年後に優位な製品を持っていられるように、今から国家戦略として科学技術の先端分野に注力してゆかねばなるまい。
それでも、歴史を振り返ればヨーロッパもアメリカも経済発展とともに少しずつ国内の製造業を失っていった。
アメリカは、いまだに航空宇宙産業や半導体製造では高い競争力を誇っているが、それだけでは3億の人口を養うには全く不足である。ドイツの自動車産業も生産の相当部分を東ヨーロッパ等に移転してしまった。
長い目で見て、製造業の退潮は覚悟せざるを得ない。仮に日本が製造業で復活するときがあるとすれば、債権取崩に入り、円の通貨価値の大幅下落に見舞われたときだろう。そのときに、まだ国内に製造現場のノウハウというものが残っていたならば、日本での生産は、品質が高くコストは割安、ということになり、それで経済が回復するかもしれない。その時の日本は超高齢社会となっていて、生産ラインもお年寄り中心で回すようになるだろう。
もう一つ、日本の人口増加に本気で取り組む必要があるだろう。
人口が増えることで、需要が増え経済が成長する。
そのためには、女性一人が一生に2人の子供を産むことを、達成するべき数値目標として掲げ、そのために必要な政策は最優先で実行することだ。加えて、移民を積極的に受け入れていくことも必要だろう。
実は、日本の人口の3%弱は、既に外国人だ。もちろん、これには終戦前は日本国籍であった中国人・韓国人や、日本の工場に出稼ぎに来た日系ブラジル人など、日本とのつながりの近い人たちを含めた総数である。しかし、それにしても不法滞在者や一時入国者は含まれていない。
これが10%くらいを占めるようになったとしても、それで日本の文化が失われるほどのものではないのではないか。
また、現時点でも、日本のGDPの8割は内需であり、その中心だんだんサービス業にシフトしていくだろう。サービス業といっても漠然としているが、医療や介護、金融や不動産から小売、飲食、建設、ビルメンテナンス、アミューズメントなど、多くは大規模事業にはならないが経済活動が存在する限り必要性はなくならないような雑多なサービスである。この内需が拡大するためには、一人当たりの需要を増やすか、人口を増やすか、ということになるが、製造業と比較して競争が激しく一人当たりの所得が低い既存型のサービス業を中心としながら一人当たりの所得を高めることは並大抵のことではない。
しかし、移民を受け入れれば、それらの人たちは住宅を借りたり買ったりするし、住宅を買えば家具を買ったり雑貨を買ったりして経済波及効果がある。当然に毎日生活費も支出する。これでようやく内需は拡大していくことになる。
そうすれば、GDPの8割を占める内需が刺激され、景況感は大きく改善するだろう。
以上のような政策、つまり科学技術への注力と、人口政策の実行。これらはまさに喫緊の課題といえる。これらに今から超党派で取り組まないならば日本経済は底なしの沼に沈み込むばかりであろう。
今、まだ国内では財政拡大勢力と財政均衡勢力が激しい綱引きを続けているが、両勢力とも、長期的には、わが国が経済成長を取り戻す以外に活路はない、という点では一致している。あとは、その方法論について国民的な合意をまとめていただかねばならない。
私は、そのようにして日本経済が元気を取り戻すことで、私のような無惨な目にあう人が少しでも減ることを切望している。
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<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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