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「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(35)
発信!北九州
2011年12月15日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(35)~戦時体制下「一県一行主義」の台頭(3)>

 (昭和12年)同年9月には臨時資金調整法が施行され、設備資金の規制が始まり、翌13年5月の国家総動員法の施行で戦時統制経済の基礎を固め、続いて15年10月同法に基づく銀行等資金運用令で運転資金も規制された。最後に17年5月には金融事業整備令が施行され、銀行合同政策に法的根拠が与えられた。この整備令を背景として都市大銀行の合併が促され、地方銀行の合同を実現させた。
 政府は戦時体制の確立のため、各地で競争している地方銀行を合同させることで、その基礎を強固にするとともに、資金の円滑な供給と金利の低下を意図した。一方、経済統制の進展とともに地方銀行は、資金運用難で利鞘の薄い有価証券投資が増加し、経営が難しくなってきていた。 
 これらの事情から、普通銀行の合同は進み、昭和10年末の466行から太平洋戦争開戦直後の同16年末には186行まで減少した。
 この間政府は"一県一行主義"で合同を進めたので、地方銀行の合同が主流であった。その中で大きなものとしては、兵庫県下の7銀行が合併して同11年12月に神戸銀行が設立され、~中略~ また、東海銀行は愛知県下の3行が同16年6月合併し設立され、先の神戸銀行を預金高で抜いて全国第9位の大銀行の出現となった。元の3行はいずれも愛知・岐阜・三重および静岡県を営業地盤とし、その主要取引先は繊維産業であったが、戦時統制の中でこれが衰微し、その局面打開の合同であったといわれている。
このような"一県一行主義"の流れの中で、昭和19年には鹿児島興業銀行(現鹿児島銀行)と当行〈山口銀行〉、翌20年には福岡銀行と藝備銀行(現広島銀行)が合同を実現した。同16年末の全国普通銀行数186行から同20年末には61行まで減少し、永年の懸案であった銀行の整理統合が太平洋戦争終結直前にほぼ完了した。

(出典:山口銀行史)  〈  〉は筆者挿入

1215_mainiti.jpg 銀行合同により1945年(昭和20年)末に普通銀行は61行となる。当時は都銀や地銀といった区分はなく、普通銀行であった。

 都市銀行の定義は1968年10月から始まった金融制度調査会第1分科会における「普通銀行の諸問題」の審議にて、「普通銀行のうち6大都市またはそれに準ずる都市を本拠として、全国的にまたは数地方にまたがる広域的営業基盤を持つ銀行」から都銀・地銀と呼ばれるようになった。
 さらにさかのぼると、1942年(昭和17年)の金融統制団体令施行に際して、普通銀行統制会に加入した銀行グループにその起源を求めることができるといわれる。

 グループ分けをすると以下に分類ができる。
(1)旧財閥系銀行
   三井銀行、三菱銀行、住友銀行、安田銀行(富士銀行)、第一銀行、野村銀行(大和銀行)

(2)旧特殊銀行
   日本勧業銀行、北海道拓殖銀行、横浜正金銀行(東京銀行)
(3)旧地方銀行などで業容が拡大したもの
   三和銀行、東海銀行、神戸銀行、埼玉銀行、日本貯蓄銀行(協和銀行)、日本相互銀行(太陽銀行) 

 普通銀行統制会に加入した銀行15行のうち、現在そのままの名で残っている銀行は一行もなく、行名が一部残っているのは、三井、三菱、住友の財閥系の名しかない。銀行も変遷の歴史を繰り返していることがわかる。

(つづく)
【北山 譲】

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